夫の主治医、教授様。実をいうと私はあまり好きではありません。

 

私自身看護師であり医療従事者なので医者と普段コミュニケーションを取ることもあるのですが、医者という人種にまともな人間はあまりいない、と断言できるくらい、医者は(頭良すぎるか狂気なのか)変わっている人が多いし、「治療」する人なのであまり他人の感情とか、その人の生活様式とか、生きてきた歴史(病歴やアレルギーの有無は気にするが)は関係なく治療に当たるのが医者なんじゃないかな~って常日頃思っています。

 

夫が最初かかったA市のドクター(女子医大を紹介してくれた医師)はすごく人間的で、田舎ということもありこちらの住まいや不便さ、生活環境も考慮してくれるような、かなり印象のいい先生でした。

 

その医師がもともと女子医大の教授様のもとで研修をしていたということで現、夫の主治医である教授様を紹介してくれたのですが、最初会った時から教授様の印象は最悪で、笑顔もなければ冗談も、無駄話も一切なし。必要最低限の話をして、手術や術後のリスクの話をして「他に何か聞きたいことはありますか?」とまぁ、患者家族としては「いえ、ありません」(これも診察室ではお決まりのやり取り)で終わる、みたいな。

 

夫はもうすぐ術後1年になるのですが、女子医大には治療を求めて全国から患者がやってくるわけです。教授様だって多分医学部で自分が担当している授業や講義、後輩の指導、大学病院だから研究もしてって、私たちが想像するよりも遥かに忙しく過ごしているだろうし、プライベートとか、多分ほぼほぼなしだろうと思われます。

 

実際に夫が入院しても朝早くから担当患者のベッドサイドに来て、後輩に指示を出して、それから外来に向かっているはずです。外来でも私たちのように5分診療で終わる患者もいれば、中には難しい患者さんもいて、説明に何十分~1時間かかる患者や患者家族もいるでしょう。患者家族は必死だからね。

 

私たち夫婦もそれを分かっているから、予約時間を2時間過ぎてもタリーズで「教授様も忙しいからね~」なんてお茶して待っていられる訳で。イライラなんてしません。やはり命を救って頂いた恩人ですから(と今は素直に思える)

 

私がびっくりしたのは夫の手術当日、おそらく教授様は研究職なので多分、手術はしていないと思うんです(勝手な予想)夫の症例は成人としては珍しいので他の医師が何人か交代で手洗いしているだろうし(※手洗い=手術室で執刀者が術前に念入りに手を洗い無菌手袋をつけるあれ、術者のこと)

 

深夜1時過ぎに夫が手術を終えてICUに戻って来た時、なんと教授様がベッドサイドでモニターを見ていて、なんで教授様がここにいるのって私は本当に驚いて。だって、深夜だよ?教授様、明日も朝から患者を診なきゃいけない、指導もしなきゃいけない、そんな術後の家族への説明なんて後輩に任せておけばいいじゃない?っていうのが私の正直な感想だったんだけど。

 

とりあえず教授様から術後の説明を受けて、その後いったんICUを後にして夫の両親を送って行って、1時間後に夫が呼吸器から離脱したのでまたICUに呼ばれて私が一人で行った時もまだベッドサイドに教授様はいたんだよね…いや、だからもう2時だし、教授様、帰った方が…(余計な心配)

 

印象最悪で今も好きなれない教授様だけど、その時ばかりはやっぱりこの人、医者なんだな~って思ってしまった。私が医療従事者だから、本当にめんどくさい家族だなって思われていたとしても、やはりこの人なしでは夫は助からなかったかもしれないし、女子医大でなければもっと深刻な後遺症や取り残し、血管を巻き込んでいたから、術中に血管が破れて出血して下手したら死んでいたかもしれないとか、そんなことを思ったら、やっぱり、ありがとうと感謝するしかないと思われる。

 

ひとりの医療従事者がひとりの患者に費やす時間は限られている。

 

私だって、今ここで接している患者さんの辛さや訴えを最後まで聴いたり、傍にいられるかって言ったら無理だし、嵐のようなナースコールの中、止む終えずその場を離れなければならないこともある。だってそのナースコールだって他の患者さんが急変しているってことかもしれないし。

 

医療の発達は素晴らしいし、今まで不治の病と言われていた病気だって今は治る時代になり、平均寿命も延び、日本には国民皆医療保険制度があり、医療を受けられる制度が整っている。(アメリカではこの制度がないため、交通事故で入院してその後医療費が払えず一家離散とかよく目にする)

 

もし江戸時代に夫が脳腫瘍になったりしたら、落馬して大腿骨折っていたら、肋骨折って、その先端が肺を損傷して気胸になっていたら…それは勝手な私の妄想ですが、助からなかっただろうし、第二次世界大戦中の沖縄とかそこで従事していた看護師とか想像を絶する過酷な状況で…。

 

今この時代に生まれて、これだけ最先端の治療を受けられ、昔は助からなかったであろう状態を脱し、健康で過ごせるこの時代に感謝なければいけないなぁと。最先端の治療や新しい薬がここにあることが当たり前で、治療が上手くいかない、思ったように病状が改善しない、それで苛立つこともあると思うけど。家族の気持ちや患者さんの気持ちも分かるんだけど。自分も患者家族だから。ちょっとだけ心に余裕が生まれると周りへの感謝の気持ちも持てるようになる。それを全員に強要するわけではないが。

 

教授様は限られた時間の中で、全国何十万人いる患者さんのひとりとして夫を診てくれて時間を割いてくれるのはありがたいこと。説明は一切不足していない。短時間で適切な説明を無駄なくしてくれているだけ。教授様は常に「今」の現状の話しかしない。でもそれもある意味正しい。私自身夫が病気になった時は手術が成功するのか、術後麻痺は残らないのか、社会復帰できるのか、再発はするのかって将来のことが心配で心配でしょうがなかったけど。

 

そんなことより「今」

 

自分の今の不安を消そうとして未来のことを人に尋ねるのなんてちょっとおかしい。人に答えを求めるなんてずるい。看護師の仕事をしていて、人の余命なんて、本当に分からないってことをある程度知っている私ですら患者家族として悩んでいた時は明確な未来の返答をしない教授の態度に頭にきていたけど(笑)

 

ちなみに教授様。夫の手術が終わって深夜2時過ぎにICUを後にした様子ですが、翌朝しっかり夫のベッドサイドに立っていました…。一切笑うこともなく「どうですか?」と。

 

もう焦る時期は過ぎた。あとは天命にまかせ、日々の忙しさにイライラすることなく、あの大変な時期を患者家族として乗り越えたと思い、支えてくれた人たりに感謝して生きていこう…と心に誓っても、ちょっと教授様の言い方にイライラしてしまう自分もいて。まだまだ人生修行が足りない、私。