お久しぶりの更新になりました。

 

去年のゴールデンウィークは頭蓋内圧亢進症状にや脳実質の圧迫によって認知症のような症状の出ている夫とお店の営業頑張っていました。

 

手術の日にちは決まっていても、稼ぎ時のゴールデンウィークに何もしないのはもったいない、少しでも治療費を稼がないとって、夫も頑張っていました。

 

あれから1年。手術も終えて、苦しい時期を乗り越え、今お店の営業ができていることに感謝します。

 

さて、お金事情の続きですが、去年の5月末に私たちはS県から東京多摩永山に引っ越しをしました。都内に住むからには三鷹とか…そんな場所に憧れていましたが、家賃も高いし、それに夫に何かあったらすぐに女子医大に夜中でも受診できるように車ももちろん持っていくので、駐車場も確保しないといけない。三鷹だと駐車場代だけで3万円コースなので。あと家は大事なペットもいるのでペット可の物件じゃないといけないし。

 

そんなこんなで条件の合う場所を探していたら永山に行きつきました。多摩永山であれば京王線、小田急線も通っているし、女子医大の近くの曙橋駅まで1本で行けること、もし受診に私が付き添えない日があっても夫がひとりで病院に行けるだろうし。

 

家賃はかなり広めの2DKで69000円。1階でちっちゃなお庭付き。

駐車場はアパートの隣で13000円でした。

まぁ、駐車場代込で月々83000円らいで、妥当な方でしょうか?

ちなみにS県では駐車場2台込みで月々35000円のお家賃だったのですが。

 

東京の賃貸事情は田舎のS県とは違って、書類審査とか、保証人とか、本当に細かくて、保証人を立てるのもその保証人の収入証明とか確定申告書とか全部提出しないといけなくて、もし保証人が不適格であれば保証会社を通じて家賃の何パーセントかを毎月上乗せで払ってくださいと言われました。

 

私の名義で借りるので私は去年の源泉と直近3ヶ月の給料明細。当時まだ私の母が働いていたの母の確定申告の控えを提出して何とか保証人になってもらえることに。母はちょうど去年、この書類提出後に引退したので、これが今年だったら多分無理でした。

 

犬を飼っていたので敷金は2か月分、礼金は1か月分。さらに駐車場も礼金1か月分かかるので、新居を構える上でもガキの交換代とか諸々入れて35万円くらい一括でかかりました。その他、何だかんだ、カーテン買ったり、冷蔵庫や洗濯機、ガスレンジも中古で揃えてでもやっぱり15万円くらい。新生活ってお金を削ろうと思ってもやっぱりかかるものなんですよね。

 

都内に引っ越してよかったのは、通院が楽、通院費の節約、何かあっても女子医大まですぐに行ける、看護師のバイトもたくさんある、入院時にS県から通って、ウィークリーマンションを借りて、ステイして、身の回りの生活費も出してってなったら同じくらいの金額がかかっていたと思うので。とにかくS県の僻地にいて、そこから通っていたら私の体力も持たなかっただろうなっていうのが正直な感想。

 

確定申告で通院費用や家族の付き添いにかかった金額が戻ってくる(正確には税金の面で優遇される、免除される)とは言われてしましたが、この件についてはまた後日記載します。

 

しかもですよ。東京に引っ越したのは5月の末日だったのですが、ちょうどその1週間前くらいに私と夫は女子医大に術前検査に行っていたんです。検査は2日に分けてだったのと、その検査から週末の休みを挟んで月曜日に主治医との術前面談があったため、しばらく都内にいなければならなかったのですが。

 

私の母と妹が埼玉の浦和に住んでいたため、長期滞在でホテルに泊まってはお金がかかるのでフリーランスでデザインの仕事をしている妹の自宅兼事務所みたいなところにしばらく泊めてもらいました。その間になんと夫の頭蓋内圧亢進症状が悪化して、頭痛がひどくなり歩けないくらいになったのです。

 

朝から具合が悪いと言っていて、いつもの痛み止めを飲んでも効かず、歩行もできないくらいになってしまって、女子医大に電話して、とりあえず救急外来に来てくださいってことになり…。えぇ、もうしょうがないから救急車を呼びました。埼玉県浦和市から東京女子医大まで、まさかの救急搬送。救急隊に事情を話し、高速道路を使用しての搬送でした…。そのまま夫は入院となり、今回は脳保護剤のグリセオールの他に痛み止めのアセリオ、それにステロイドの点滴まで追加されました。入院後は吐いてしまって水分も摂れない状態。

 

とりあえず緊急入院時は脳外の病室に空きがなくて、新しくできた第1病棟に入院になって、そこは広くて快適だったのですが…。とりあえず、トイレに行きたいと言われれば私が車椅子でトイレに連れていき、また看護師ならではの余計なお世話で病棟の看護師さんに「尿測しますか?」とか聴いたりして、本当に面倒くさい患者家族な私でした、すいません…。

 

夫は結局そのまま1週間ほど入院となったので、3日くらい夫に付き添って都内にいて、それから私一人でS県に戻って引っ越しの準備をして、末日に元トラックを運転していたガテン系のナース友達に車を出してもらい、彼女のステーションワゴンと私のステーションワゴン2台でS県から永山まで引っ越し敢行。本当だったら夫も一緒に引っ越しのはずでしたが、雨の中、女ふたりで引っ越しをすることになりました。

 

 

次回に続く。

 

レイチェルメモ☆

去年の4月15日、脳腫瘍発覚。

5月GW 夫とお店営業

5月30日都内に引っ越し

6月7日夫の脳腫瘍摘出術

6月下旬夫退院