以前訪問看護ステーションでバイトしていた時のこと。

 

末期の乳がん患者さんの自壊創の処置に行っていたことがありました。患者さんはまだ若い、50代。発症したの40代、その後は放射線、抗がん剤、手術、ありとあらゆる治療をしてきた女性。

 

もともとお嬢様育ちで綺麗な方で旦那さんもそれなりのお仕事をしていて、ずっと専業主婦で、自慢の娘もよい大学に行って英語を使った商社勤務で…訪問するお家も北欧風のやわらかい家具と、自慢のドイツ製オーダーメイドキッチンにご趣味の編み物や刺繍…。

 

でも乳がんが進行して癌が皮膚の表面に出てきてしまってそこから膿が多量に出てしまう。腋の下がつっぱって腕を上げられなくなってしまう。臭いも気になり外出もままならず、私が去年訪問していた頃はいつもパジャマ姿で自宅にいて、唯一外との交流が訪問看護師だったので毎回笑顔で迎えてくれて。

 

「今日はすごく具合が悪い」と横になっていても昔の話を始めると止まらなくなってしまい、ちょっと具合のよい日は昔の写真や自分の刺繍コレクションを私に見せてきて、いつもいつも訪問時間をオーバーしてしまい私はよく上司に怒られていた…。

 

そんな彼女がよく口にしていたのが「がんとも」という言葉。「がんのお友達」ということらしい。昔肺がんの若い男性が「がんエヴォリューション」っていう自叙伝?を書いていたのを思い出した。詳しくは奥山貴宏で検索。

 

乳がんつながりでたくさんのお友達ができて、旦那さんの協力もあり、結構色々な場所に旅行に行っていたらしい。「ここは〇〇島の〇〇っていう場所で、みんなでクルーザーに乗ってね…ここに写っているの、みんなガン友なの♪」 うきうきしながら話す患者さん。具合が悪いって真っ青になっていた顔も私が帰るころには赤くなって表情もイキイキしていた。

 

多分最後の方は脳転移もあったと思うんだけど、同じ写真を何度も見せてきて、「〇〇さん、彼女も私のガン友なの!」なんてはしゃいでいたけど、ある日真面目な顔になって「でも、ここに写っているガン友、みんな亡くなっちゃった…残っているの私だけなの…」と言われた。

 

(非常に)重い空気が流れる…。

 

かのナイチンゲール様は患者の感情という激流にあえて飛び込め!みたいなことを言っていたような気が…(勉強不足ですいません)、あえて私も表情を変えず「そうなんですか、ガン友のみなさん、亡くなっってしまって、〇〇さんが最後生き残ってるんですね」と患者さん言った言葉をそのまま反芻して返していました。これを言うのもかなり勇気がいるというか、自分自身も心が引き裂かれる想いが本当にしますね…。私流の共感の姿勢。

 

なぜかここ数日、その患者さんのことがやたらと思い出されて「ガントモ」って言葉、ちょっと切ないけど勇気の出る言葉、特に患者さんにとっては本当に必要なんだろうな…と考えてみたり。

 

よくおじいちゃんも俳句を詠んで「戦友」って言葉を使っていたけど、同じ時期に大変な思いをしてきた友達は例え戦地で死んでしまっても、兵役を終えて帰ってきても、その後年齢をいってしまって、何らかの形で亡くなってしまっても永遠にその人の支えなんだろうなって思った次第。

 

患者さんなら患者会、患者家族会を支えにしている家族もいるだろうし、以前勤務していたリハビリ専門病院は患者家族の結束や情報交換も盛んだった。

 

夫はあまり自分の弱みを人に見せたくなくて、多くの人に自分が病気をしたってことは言っていないけど、妻の私が看護師で、友達はほぼ全員ナースや医者だったので妻側の友達にはほぼ知れ渡っています…。

 

そういえばさ、脳腫瘍摘出術が終わって、夫がICUに戻ってきたのが夜中の1時ごろだったんだけど、仲のよいナー友(ナース友達)ふたりが手術終わるまで自宅で起きて待っていてくれて、無事にICUに戻ってきたってLINEしたら速攻「バイタルは?血圧は?」って返事が来て循環器のエキスパートである彼女らしいと爆笑したのを覚えている…。急いで確認して連絡しましたが(笑)160台だったかな…。逆に冷静な彼女に助けられたというか、ありがたかったです。笑わせてくれて。