6月7日夫の脳腫瘍手術から半年以上が経ちました。
 
ここ最近、患者家族として会員制の某サイトに連載を書かせてもらっています。内容はこのブログとあまり変わらない?というかもうちょっと詳しくな感じだけど。
 
夫のお店もまだあるので4月からS県に戻ることにした私たち夫婦。
 
先日S県に新しく住むアパートの契約に行って、夫のお店の周りも整理整頓して、私が戻る予定の病院(働く場所です)にも挨拶したり、白衣の採寸したりして、弾丸日帰りで帰ってきたんだけど。
 
夫はあまり今回の病気のことを人に知られたくなくて、病気でお店を休んでいるって思われたくなかったみたい。片田舎だからすぐに噂になるし、そういう時に限って普段連絡してこないような人が「大丈夫?」って連絡してくるのが面倒くさい。人の不幸は祭の始まりじゃないけど、田舎はニュースもネタもないから。
 
S県から毎回都内に通うのでお金がかかることと、術後障害が残ることも考えて私は都内に引っ越しを決めて、結果、夫は今のところ身体的後遺症も残らなかったのでS県に帰ることにしたんだけど。
 
S県ではどうやら夫は東京のお店に修行に出て、でも東京じゃダメで戻ってくるらしいという話になっているらしい。夫は病気のことを知られたくないから、それはそれでそう思われていればいいし、抗てんかん薬内服中で車の運転ができなくなったのも「飲酒運転で免停になった」と説明しているくらいだから、本当に人に弱いところ見せたくないんだろうな。
 
サイトの連載を書ていて、思い返せば4月の15日の脳腫瘍発覚から6月7日の手術まで約2か月くらい間が空いたワケだけど、最初に町の脳神経外科から紹介されて受診したA市の脳神経外科の先生が東京女子医大の出身だったということでトントン拍子に女子医を紹介され、主治医が女子医大に電話連絡を入れて状況を説明してくれてすぐに手術室を抑えるよう手配してくれたのが本当にありがたかったというか、全ての流れが東京に繋がったんだと思う。
 
最初に受診した町医者はA市の病院か、S県の別の大学病院を勧めてきて、私がとっさにA市の病院ならガンマナイフがあるから脳外は実績がある!って閃いたのと、S県の大学病院はちょっと院内感染が問題になっていて…私が勤めていた病院からも手に負えない患者さんはそこの大学病院に送っていたからなんとなくあまりよくない噂を聞いていて、A市の病院を選んだ。
 
強運と、やはり情報は大事だったということ。今の時代患者だって、患者家族だって、医療従事者、医者、病院が何でもやってくれる、なんでも示してくれるという考え方は捨てたほうがいい。私も病院で色々な患者さんや患者家族に接しているけど、田舎に行けば行くほど「保険料を払っているのは俺たちなんだから、医療は与えられて当然」と考える人が残念ながら多い傾向にあると…個人的な感想ですが思うことが多々あり。
 
自分が思っているほど人は自分のことを思ってくれている訳じゃないし、何かをしてくれるワケじゃない。自分を守れるのは自分しかいない、家族を守れるのは自分しかいない、そんな覚悟が必要というか、必要に迫られたというか。
 
正直手術を待つ2か月間は不安の連続で、その間も頭蓋内圧亢進症状で2回も緊急入院していた夫だから、患者家族としては早く手術をしてもらいたかった。
 
女子医大はインテリジェント手術室といって、術中にMRIとダイレクトナビゲーションシステムを備えた最先端の脳外科の手術をしているため、もちろんハイテク手術室は1室だろうし、脳外科のオペなんて何時間もかかるのは当たり前だし、医師、麻酔科医、看護師、臨床工学技士、その他スタッフ人員も必要だし、機械のメンテナンスの関係もあって、1日1人の手術が限界なんじゃないかなって…やっぱり思うよね、私ももともと手術室勤務だったから。
 
女子医大で手術を待つ人はたくさんいる。その中でも、私は夫の主治医の教授様はあまり好きじゃないけど(一切笑わない無機質な人で言葉が足りないんじゃないのって思うことも多々あったが)精一杯手術の予定を組んでくれて夫の脳腫瘍が無事に取れたことに関しては本当に感謝している。
 
引っ越しだとか、術後夫の脳機能が回復するのに時間がかかたっとか、愛犬と離れ離れでつらい思いをさせちゃったりとか、犬にも負担かけちゃったとか、術後夫が仕事できないから私が無理して働きに出たりとか、本当は病院も近いし生活も便利で東京に住んでいたいけど夫が東京に適応障害を起こしてしまって半分鬱病状態になり、自然の多いS県に帰ることになって、私としてはまた医療僻地で何かあったら心配だけど、もうここまで患者家族としてやることはやったから悔いはないとか。色々な想いが交差する今。
 
もう患者家族として本当につらい、つらい、先の見えない、砂を嚙むような1年だったけど。夫は無口でほとんどしゃべらない人なので何を考えているのか分かりませんが。看護師免許取った時は将来自分の夫のために自分の看護の知識や情報をフルに使うことになるとは思わなかった。
 
S県の田舎の人たちが夫のことをなんと言おうと、東京で修行してダメだったと言われようと、あの家の嫁は気が強いと言われようと、家族を守りきれたし、東京に出てきたのは無駄ではなかったと私の中では思っているので。今後もし自分や自分の家族が病気になったとしても私はちゃんと情報収集をして、自分も家族も守り、納得いく医療を選べるように賢い患者でいたい。
 
ちなみに全然関係ないけど、今年も確定申告をしました。私は千葉に自分名義のマンションがあるので、不動産で毎年確定申告をして、あと去年は夫の病気で仕事を辞めたりもしたので色々と申告することがあるのですが。確定申告とか、税金のこととか、そっちの分野は素人なので私はあまりよく分からないんだけど。でも自分でやるしかないと思ったらマニュアルとか、税務署の書類とか読んで、分からないところは参考書とかネットで調べて、確定申告書を作成するわけですよ。なんとかできたけど。
 
ようするにね、自分の知らない分野だから分からない、できないじゃなくて、調べてやることが自分のためになり、還付金だって受けられるし、控除も受けられる訳じゃないですか。やっぱりね、自分や家族が病気になった時だって、素人なりにちゃんと調べて、情報を選択する権利、自由は私たち正常な人間にはあるし、残されているんですから。受け身で生きていたらこの世の中渡っていけないし、自分も家族も守れない。
 
頑張って生きている、ちょっと無理をしている、そんな自分も認識しつつ、でも1日1日夫の病気、今の自分の状況、気持ちに向き合って生きていくしかないよな…。