昨日の教授からの病状説明の後、夫はリンデロンの点滴が増量になり4mg/日から8mg/日となった。

 

23日昼間は尿量が確保できていなかったけど、夕方くらいから追加になったビーフリードや増量したリンデロンのお陰か今朝方から尿量が激しく増加。本日午後の時点ですでに2000ml近く尿も出ていたし、食欲も増加、吐き気も治まり食事量も半分以上食べられていて、昨日の「死んじゃいそう~」な状態から一転し元気になっておりました。

 

 

改めてリンデロンすごーい!

(つーか、初めから8mgで使って欲しかったよ☆)←心の声。大声では言えない。

※ちなみに術前に多量のステロイドを使用すると感染症にかかりやすくなるため、使用を躊躇する理由はわかります※

 

と世界の中心に向かって叫びたいくらいでした。

 

昨日の病状説明の追加ですが、脳腫瘍自体は大きくなっていないけど、その周囲に嚢胞が形成されていて、その嚢胞の中の液体が教授も予想していなかったくらい増加していて、それがまた左脳→右脳を激しく圧迫し始めているため今回の症状が出たのであろうとのこと。

 

まぁ、MRI画像の悲惨なこと…。

 

普通右脳と左脳を分ける正中線はまっすぐなのに、明らからにS字カーブを描いて、正中線が大幅に右側にずれ込んでいる。

 

手術の日にちは前倒しはできないから、その日を待ちつつ、対症療法、または姑息的な手段で症状を抑えていくしかないんだろうなぁ…。

 

そんなこんなで今日は夫はすこぶる良い体調で過ごし、ベッド上でスマホをいじる余裕もあるし、トイレも自分で行けるようになっていたので(昨日は頭痛がひどく立ち上がり困難なため車椅子で移動していた)私的には一安心。モニターも着いているし、何かあったら病院だし、大丈夫だろうということで一度住んでいるS県S市に帰ることに決めました。

 

東京から3時間。

 

IZ急線に乗って、見慣れた何もない、田舎の景色を見るとやっぱり帰ってきた、丸4年も住んできたこの場所に帰ってきたんだって、ちょっと複雑な思い。くどいけど、1ヵ月半前までは、普通の生活だった。仕事、環境。すべてがいつもの日常だったのに、夫の脳腫瘍が発覚してからずいぶんこの景色も変わってしまったな。

 

今日はTJ医大を抜け出して、途中、今月末に退社予定の私の所属する東京の看護師派遣会社に書類書きと挨拶に寄ってきた。私は4年前にこの会社の契約社員となり、そのまま契約を更新しながらS県S市の病院に看護師として派遣され、ずっと勤めてきた。その間に夫と知り合い結婚して。

 

そりゃ、勤務も忙しいけど、不便で仕方ない田舎生活に不満もあるけど、それなりに幸せだったなぁって。今思うと私も含め、大切な家族が健康で働けていることがどんなに幸せだったんだろうってしみじみ思う。会社にも派遣先の病院でも本当に人に恵まれて、良い環境で仕事をさせてもらっていたのに、何小さいことで不満ばかり口にしていたんだろうな、私。心が小さかったな~って今更思う。後悔は全てにおいて先に立たず…。

 

今回の受診、入院で愛犬も知り合いに預けたまま、一緒に帰ってくる予定だった夫もいない。目の前を野生の猿が闊歩し、イノシシが出現し、獣の気配を感じるこの家でたったひとり。

 

まぁ、でも一旦夫の心配からは解放されたし、頑張っているじゃん私ってことで今日は結構お酒を飲んであとは使い慣れた布団で寝るだけ。それも幸せなことなんだって思ったり。ここ最近自分の使い慣れた寝具で快適に寝ることがなかったから。

 

夫もひとり、大きな病院で不安を感じながら過ごしているのかな…。

 

夫と言えば病気になってすっかり弱気になり、昨日ハイパー具合悪いマックスの時は私は全身清拭をして、点滴中の着替えをさせて、トイレまで付き添い、陰部洗浄までして…。すっかり赤ちゃん返りして私に甘えまくっています。

 

今日は今日で私が点滴へパロックして、防水フィルムを病棟ナースから受け取り、点滴刺入部を保護してシャワー浴介助。夫は構われるのが嬉しいらしく、私が洗髪して、背中を流してご満悦…っておーい、仕事とやっていること変わらない~。

 

ちなみに私は看護学生時代、TJ医大の透析室で看護助手のアルバイトをしていました…。その時の透析室の師長さんが昨日目の前を通りびっくり。髪型は変わったけど、顔変わらないな…。

 

結局戻ってきた。

 

私の看護の原点、というか、初めて患者さんという人種に触れたTJ医大に。引き寄せられているのか?看護師になって、巡りに巡ってTJ医大に患者家族として戻ってきてしまった事実。胸中複雑ですわ。

 

明日も色々とやることいっぱい。主に役所の書類関係。今月末で退職する私、任意保険の継続手続き、新居が決まったので不動産屋に提出する添付書類、収入証明書、その他取得しないといけない書類が山積み。

 

夫が脳腫瘍になって、発覚して3日間くらいはメソメソ泣いていた。けど泣いていても悩んでも時間の流れは一緒だし、短期決戦でやらないといけないこと、判断しないといけないこと、提出する書類に引っ越し。泣いている暇はないし、泣いても悩んでも時間は進むから。

 

強くなろう、やっていこう。

 

止まない雨はないように、いつかはゴールにたどり着く。

 

辿り着くはずなんだけど。

 

ゴールだと思っていた時点が始まりだったってこともあるから。

 

ひたすら目の前にあることをこなしていこう。いつか夫が元気に回復して、一緒に過ごす時間も増えて、また変哲もない、って感じるかもしれないけど、幸せな日常や日々に戻れることを信じて。つまり妻の私にしかできないこともあるってことで。明日も時間を無駄にしないように全力投球で生きます、私。

 

ご心配してくれている皆さん、本当にありがとう。忙しくて全員に返信はできないけど、気にかけてくれて本当に嬉しいです。感謝しています。

 

 

 





上記の画像は記念すべく、夫の脳腫瘍が発覚した日にA市の病院で撮った画像です。

一部石灰化も見られ、栄養欠陥は2本巻き込まれ、年季の入った腫瘍君です。