「連帯航空券」というので石垣に着いた。

 

強い日差しをあびて、タラップを降り、建物に向かう。

 

石垣空港の建物は、とても小さかった。

 

(今も小さいけれど、中はきれいになった)

 

西表島に渡るには、石垣空港から、離島桟橋まで行かなければいけない。

 

当時、離島桟橋に行くには、タクシーに乗るしかなかった。

 

タクシーの運転手は、みなパンチパーマだった。

 

(それが自然なヘアスタイルとわかるのは、後の事だ)

 

離島桟橋に着いても、どうやって西表に行ったらいいのかわからない。

 

離島航路の船の事務所で、船浦行きの乗船券を買う。

 

買っても乗り場がわからない。

 

当時、船には行き先が書いてなかった。

 

この船に乗って、別の所に行ってしまったらどうしよう、 とおどおどしていた私は、いかにも内地の観光客っぽかっただろう。

 

 

船の下に広がる、港の海の色は、エメラルド色だった。

 

 

青い空と、青い海の中、船は竹富島の島影をかすめて、西表船浦港に着いた。

 

着いても、予約していたユースホステルまで、どうやって行ったらいいか、わからない。

 

港に数名の人がいたが、情報の乏しい当時の状況下で行っていた私には、誰にも「車に乗せて」と言う事はできなかった。

 

 

かくして私は、夏の沖縄の暑い日差しの中、船浦港から上原集落までの道のりを、30分かかって、汗だくになって、ふらふらになりながら、歩いて行った。