翌日、私は仕事に行こうとした。

 

電車は止まっていたので、バイクで行こうとした。

道は、アスファルトが割れ、瓦やガラスの破片が道端に寄せられただけの状態だった。

 

そこで私は、街が壊滅状態になっている事を知った。

 

地震の被害は、断層の位置のわずかな違いに左右されたようで、私の住んでいたアパートは、倒壊しなかったものの、数百メートル先では、軒並み建物が倒壊していた。

 

あの時、あまりに多くの建物が潰れているのを見たので、今でも私は、そのへんの家を見る度に、「この家は、阪神大震災級の地震が来たら潰れる、こっちの家は大丈夫」 などと思ってしまう。

 

木造家屋は、残念ながら、ほとんどだめだった。

1階が車庫になっているビルも、1階部分は、ほとんど潰れていた。

 

記憶に強く残っているのは、真ん中でぽっきりと折れた、4階建てほどのビルだ。

このビルの上層階にいた人は、ビルごと倒されてしまったのだ。

 

そんな景色も、まるで風景のように見ながら、私は、ぼこぼこに崩れた道を、がれきを避けながら走った。

その時の私には、残り少なくなった、貴重なガソリンの残量の方が、気になっていたのだ。