6月4日、8ヶ月になった息子を連れて、主治医であるT病院の小児心臓外来を受診した。
ブログを読み返すと、4ヶ月検診時の経過報告が抜けている。出生時、2ヶ月、4ヶ月という経過観察の結果、次の検診は8ヶ月にすることとなった。つまり、悪化のおそれはないという判断で、検診の間隔が延びたのである。実際、息子はすこぶる元気であった。
検診内容は、胸部レントゲン、心電図、エコー検査の三つであった。
胸部レントゲン撮影については、4ヶ月検診のときに一度体験している。乳児のレントゲン撮影の実際を知ってかなりショックを受けた。技師は鉛のエプロンをし、赤ん坊を支える保護者は遮蔽版のスリットから腕を出して、受像版に押し付けるようにして子供を固定するのである。とっさにこの医療被曝から守られなければならないのは母親である妻だと判断した。息子は当事者であり被曝のリスクよりも大事な情報が得られるはずであると考えたからである。妻をレントゲン室の鉛入りのドアの向こうに押しやり、自分が遮蔽版の影に身を小さくして入った。胸部レントゲンとは言っても、成人のそれとほとんど同じである。そう同じなのである。違うのは身体のサイズである。成人のレントゲン写真のあのサイズの中にすっぽり入って余りある乳児に対して、全く同じシステムを使うのである。
もちろん照射の範囲や深度(強度?)が、成人とは違うのだろうと想像するが、どう見ても全身照射である。ましてやひと時もじっとしていられない子供が相手である、胸部を狙った照射が、腹部や頭部に当たらないとはとうてい思えない。撮影の瞬間、息子を支持しているはずの自分が、息子を盾にして放射線から逃れている姿に思えてぞっとしたのであった。
もう、レントゲンはやめようと妻と話し合った。そうして迎えた8ヶ月検診の日であった。検査内容について、レントゲンは不要と伝えると、受付係は奥から看護師を連れて戻って来た、「必要な検査です」と言うので、「拒否します」と答えると、今度は婦長とおぼしき看護師を連れて来た、そして婦長さんと問答の末、「先生と話して下さい」となり、主治医のW先生と4ヶ月ぶりに話をした。医療被曝について「まったく心配ない、あったとしても今日撮る1枚の被曝で問題が発生するとは考えられない」と主張するので、全身被曝の恐れがあること、息子は胎内に居るときに見当もつかない量の被曝を受けているかも知れないことの二点を伝えたが、レントゲン技師がきちんと調整するから心配ない、NICUに居る時から何枚もレントゲンを撮り続けた患者に医療被曝後遺症が出た報告を知らない、と主張を変えなかった。肺の鬱血の有無はレントゲンを見ないと判断できないという言葉、さらにレントゲン診断をしなかったせいで見落とした症状が後に大きな問題になることもあり得るという言葉に負けて渋々レントゲン室に向かった。撮影を終えて閉めたドアに、妊婦さん立ち入り禁止のポスターが貼ってあった。胎児と何ヶ月も変わらない乳児なのに・・・。病気発見というメリットが無ければつまりは危険行為なのだと思い知らされた。
撮影したレントゲン写真を診て、「異常有りません」と1秒で済まされた時に、「騙された」と思った。「騙された」は語弊のある表現かもしれないが、自分がもっとやわらかく拒絶できていればドクターも意地を張って撮影を強行する事はなかった、ドクターのメンツの保持の為に我が息子に無用の被曝をさせてしまったのだ。
さて、やっと本題。「穴は見受けられない、自然治癒したと思われます。半年後の再検査で異常なければ、その時に完治宣言しましょう。」という診断結果であった。
「その時には心電図とエコー検査だけでいいですよ。」ドクターの勝利宣言であった。
このドクターは僕との問答に負けたくないだけの理由でレントゲン撮影を指示したのに違いない、と考えるのは穿った見方であろうか?