4月8日

   願はくは 花のもとにて 春死なむ

           その如月の  望月のころ        (西行法師)


 やっぱり、何といっても、春は桜。満開の桜の下を歩く時の浮き立つような気分。

寒い寒いとコートの襟を立てながら、ぼんぼりに映える花びらを見上げながら歩く時の気分。

古来より日本人はこの花をこよなく愛でてきた。

白でもなく、ピンクでもない。柔らかな花びらが、枝いっぱいにふさふさと着いているさまは、見事というしかない。


 先に挙げた、西行の歌。人はいずれ死ぬ。同じ逝くなら、この春の花の満開の時にと私も思う。桜の花の下を歩くときに、いつも思い出す歌である。


 しかし、花は散る。ことに、桜の命は短い。

世の中は三日見ぬ間の桜かな

ことほど左様に、花の命は短い。いや、世の中の変化の方が、もっと激しいと昔の人は言いたかったかもしれないが・・・。


 何にしても、その散りぎはが、またいいのかも知れない。桜吹雪ともいわれる散りぎはの美しさに、日本人は魅了されてもきた。戦争の時代、若者がさくらのごとく、いさぎよく見事に散ろうと自分に言い聞かせたのもむべなるかなとも思う。しかし

   

    世の中に  絶えて桜の  なかりせば

             春の心は   のどけからまし     (作者を知らず)


 早く咲かないかな、いつ頃咲くのかなと、そわそわと落ち着かない。咲いたら咲いたで、もう散ることが心配になる。この時期、確かに、桜がなかったら、もう少し落ち着いていられたかもしれない。

と言いながら、毎年、四季の美しさに恵まれたこの日本に生まれて、ほんとうに良かったと思う。自然を大切にしていきたいものだ。


3月28日

 やはり、原発は恐ろしい。

昨日、東電が発表した測定データでは、2号機の格納容器内の放射線量は毎時約73シーベルトとか。

この数値が大きいのか、何が問題なのか、私のような素人が聞いてもさっぱりわからない。

 ただ、その解説記事を読んでみると、この数値の放射線を、人間があびると「数分間で死亡する」ほどの量であるそうだ。目にも見えず、音もせず、においもない、そんな強力な殺人物質が空気中に絶えず放出されているとしたら、皆さんはそれを許せるのだろうか?

 幸か不幸か、これはまだ格納容器内に密閉されている「そうだ」から、なんとかなるかも知れない。

しかし、折に触れて報道されているが、圧力容器内で核融合が起きて、炉心が溶けているとかいないとか。

それを裏付けるかのように、原子炉を冷却する為の水は深さ60センチくらいしか貯まっていないとか。絶えず水を新たに供給しているにもかかわらず、水はこの程度しか貯まっていないと報道されている。

これもまた恐ろしいことだ。まったくの門外漢の素人が考えても、絶えず水を供給していても、水がたまらないということは、簡単にいえば『どこかに穴があいていて、水はそこから逃げていっている』か絶えず『蒸発している』かのどちらかではないだろうか?

 多分、前者の穴があいていて、地中にでも漏れて行っている可能性の方が大きいのではないだろうか?

ということは、地下水や地中を通り海に流れ込んでいっているかもしれない。

放射線が「なんぼのものか」知らないが、数分間で人が死ぬほどの強力な物質が、静かにまき散らされているかもしれないことを、もっときちんと考えなければならないと思う。

 いずれにしても、前々から思っていることだけど、『日本人は忘れ安すぎる』のだ。

事が起きると、一時的には国を挙げて大騒ぎするが、一年もたつと「もうきのうのこと」のようにしか思わなくなってしまうようだ。肉食文化と違って、草食文化の優しさゆえかもしれないが、忘れたり風化させたりしてはいけないことは、どこまでも追及していくべきだ。さもないと、ある日突然、生活が破壊されるような事態にもなりかねないとつくづく思う。

3月18日

 東北大震災により発生した、ガレキの処理受け入れを巡って、日本各地でもめている。

震災当時、世界各国より賞賛された日本人の資質の中身が問われている問題でもある。

そして、口を開けば「東北ガンバレ」と叫び続ける、マスコミはじめ大衆一般。その開いた同じ口で

「汚染ガレキ、受け入れ反対」

と声高に叫び続ける人たち。


 これほど、東北の人たちをバカにした行為はないと、私は思う。

一日も早い復興を目指す東北の人たちにとっては、ゴミ・ガレキの片づけこそが、真っ先に解決されなければならない最大の問題であるはずだ。これを、普通に処理していたら、何十年もかかるというから、地元だけでできる話ではないはずだ。


 ほんとうに「東北ガンバレ」というのなら、率先してそれらのがれき処理を受け入れるのが、一番よい応援になることは明らかだ。しかるに、口先では「ガンバレ、ガンバレ」と言いながら、「でも、ゴミは嫌だからね」というエゴ。

私は東北出身ではないが、このような言動が東北の被災者たちの心をどれほど傷つけているか、冷静に考えてもらいたいものだ。

地域エゴというか、日本人の利己主義を目の当たりにして、実に情けない話である。


 もし、これが立場が逆であったなら、反対している人達はどうするのだろう?

日本は地震大国である。九州にしろ、四国にしろ近畿・中部、関東、北海道まで。どこをとっても、明日は我が身であるかもしれない。あるいは、原発にしても、日本全国に散らばっているわけだから、そのどこかで福島と同様な事故が起きないという保証はない。

 今がよければ、口先では綺麗ごとはいうけれど、現実には人の不幸には協力しないという発想は、いずれ自分にも跳ね返ってくるかもしれないことを、今一度きちんと考えなければならない時だと思う。

そうして、一日も早いガレキの受け入れが、日本全国にどんどん広がっていくことを切に願うものである。


3月10日

 大震災より、明日で一年。

津波や地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りしたい。

 

 ところで、地震や津波はまさに「天災」。今日の最新の科学知識や技術をもってしても、その発生を正確に事前に通報することはできない。たとえば、東海地震は何年以内に70%の確率で、起きるだろうなどの予想が関の山である。

 これが、「明日の何時ごろに地震が起きる」などと、台風並みに発生予報が報道されるようになれば、被害者の数は激減するであろう。しかしながら、このレベルに達するには道はまだまだ遠いようである。

その意味では、この災害でお亡くなりになった人達にはどうしょうもなかった、まことにお気の毒なことである。

ひるがえって、首都直下型地震の発生が近いうちに起きるかもなどとささやかれている私達にとっても、他人ごとではない。


 話は変わるが、それでは福島原発事故による被害者の場合はどうであろうか?

私の知る限りでは、原発の事故が直接の原因で死者が出たということは聞いていない。しかし、誰もが知ってるとおり、20Km圏内には人は住むことはできない状態が、一年も続いている。しかも、この先いつになったら自宅に帰れるのか、さっぱり見通しがついていない。

 津波や地震で家が倒壊したり流された人は、ある程度のお金と時間があれば、確実に再建できる。しかし、原発周辺の住民は家が「今までどおり建っている」にもかかわらず、どうにもできない。

これが両者の決定的な違いである。

 

 加えて、さらに言えることは、後者の場合、もしも原発が福島に無かったら、このようなひどい目に遭うことも無かったのである。つまり、防ごうと思えば防ぐことのできた災害である。すなわち、人災といえるゆえんである。

便利さや快適さを追求するあまり、危険をかえりみず、ひとたび事故が起きると無期限に近い苦しみを多くの人に与える「商品=設備」の存在を許してもいいものだろうか?

 

 何日か前、福島原発事故の際、最悪の場合「首都圏を含む3000万人を避難させること」を政府は想定していたと報道されていた。しかし、そんなことが現実に起きていたら、はたして可能であったのか?日本のあちこちに分散させるにしても、一日や二日ならいざ知らず、半年も一年もそんなことができるのか?

そんな、そら恐ろしい事態が起こるかもしれない「原発」という発電設備を、それでも我々は利用していかなければ、生きていけないものだろうか?

 事故以来、一年たつ今、「人災」の意味することを、すべての人が再検討するべき時だと思う。

3月6日

 お雛様も過ぎて、いよいよ春は目の前というお天気で、気分がいいですニャー。

今日から何回かに分けて、パパの見た中国観を書くそうニャンでよろしくね。


 中国。この大国はほんとうに扱いにくい国だ。

先日も聞いてあきれたが、「i Pad」の商標権問題。普通に考えれば、誰が考えても、あれはアップルのものだというだろう。それを、名も無い中国の一企業が「あれはうちのものだ」という裁判を起こして、しかもそれが認められたというから、びっくり。

 後日談で、その会社は昨日あたり、正式に倒産したとかいう新聞記事が出ていた。

もう実体のない会社が、全世界で猛烈な勢いで売れているアメリカのトップ企業を相手取って、訴訟を起こすというから、どうにも理解できない。また、それを国家機関が一審とはいえ、認めるというからびっくり。

 同じようなことが昨年、大きく報道されて話題になった。

それは、新幹線特許申請問題である。

中国が新幹線技術を世界各国に特許申請したという話である。アメリカはじめ、どことどこに申請したか詳しく知らないが、あちこちの国で申請したらしい。

 これを知った、日本の関係者は真っ青だとか。いや、もしかしたら、開いた口がふさがらなかったということかも。そりゃあそうだろう。世界最高の日本の新幹線技術を、輸出し手取り足取りで丁寧に教えてやって、やっと開業できるようになったと思ったら、これは俺の技術だと、さっそく特許申請とは!?

 

 まあ、のんきな日本も日本だが、あきれてものが言えないとは、このことかと思う。

それは確かに先に申請したものが勝ちというのが、特許の大原則とはいえ、どう考えても納得できない話である。これじゃあ、うかうか中国に新技術なんか教えられるものではないということになるだろう。

ことほど左様に、中国人の考え方には驚かされることが多い。

世界の中で、中国人・インド商人・ユダヤ人などに日本人がまず勝てないといわれるのも、まあむべなるかなというところかもしれない。

2月29日

 時ならぬ大雪に見舞われた関東地方。

あたしは暖房のきいたお部屋にいるから、いいけどノラちゃんはかわいそうだニャアー。

この前、見かけた白い毛が薄茶に汚れていたあのノラちゃんはこんなお天気の日には、どこで過ごしているのかニャアーと気になるよ。

 もしかしたら、そこいらの建物の床下にでも潜り込んで、丸くなりじっとしているのかニャアー?

食べ物も自分で探さなければならないし、運よくゴミ置き場あたりに、魚の骨か鶏のから揚げでも見つけれたら最高だけど・・・

 それとても、ビニールの袋から引っ張り出しているところを近所の意地悪ばあさんや住民に見つかったら、さあ大変!

「このノラ猫め!」

と殺されかねない勢いで、かたきのように追いかけられるのだから。生きていくことは、命がけなんだニャアと先日もあたしに、ぼやいていたよ。

 

 この前の、さいたま市の親子三人の餓死事件も可哀想な話だけど、ノラ猫やノラ犬君はもっと大変だけどニャアー。好きでノラになったわけではないが、もう少し大目に見てもらえないかニャーと言ってたよ。


 こんなお天気、大変だけど、でも春はもうそこまで来ているんだってさ。

パパは言ってるよ。

真冬には日本海側に雪が降り、太平洋側は乾燥する。しかし、春が近づいてくると、太平洋側に湿った低気圧が入ってきて雪を降らせるんだって。その雪こそが「春はお隣まで来たよ」という合図なんだってさ。

梅一輪、一輪ほどの暖かさかな

と合わせ、一雨ごとに春はそっと音もなく、そばに寄ってくるそうだよ。

ノラ猫ちゃんもノラ犬君ももうちょっと頑張ってね。

2月24日

 さいたま市の親子3人の餓死以来、飢え死にや孤独死に関する報道が毎日のようにかまびすしいとパパは言っているよ。あたしニャンか全然知らなかったけど、パパがどこからか聞いてきた話では

「平成12年以降、国内で餓死した人は712人になる」

と厚労省の統計があるんだってさ。

 これを聞いてきたパパは、びっくりして

「これじゃあ、毎年、70人くらいが飢え死にしている計算になるな」

と、絶句してたよ。

 ニャンコの世界には統計はニャイから知らないけど、それにしてもすごい数だニャアーと思うよ。

世界でも有数の豊かな国のはずの日本においてこれほどの数の餓死者がいるとは・・・


 ところで、餓死とは直接関係ないけれども、孤独死も多いようだ。

高齢化していくこれからの時代にはますますふえていくだろうとも、パパは言っているよ。その言い分はこうだってさ。

 この孤独死の大きな原因の一つには、現代社会の住宅事情がある。

マンションやアパートが昔に比べて、格段にふえてきたことを見るとわかりやすい。このような集合住宅では近所どうしの付き合いが非常に希薄である。

 極端な話、隣にどのような人が住んでいるかすら知らないケースがけっこうある。単身の勤労者の世界では、朝早く家を出て、夜遅く帰ることが多い。したがって、隣同士で顔を合わせることも少なければ、会話を交わすこともほとんどない。会社で管理している貸室の状況を見ていると、ワンルームマンションでこのようなことが顕著であるる。

 これがファミリー向けの住宅では、自治会活動などが割合盛んで、どの部屋に誰が住んでいるかはよく知られている。また、小さな子どもがいる家庭では、子ども同士の交流から家族間の付き合いもあるようだ。

しかし、少子高齢化が進み、未婚の中年層が増えていくにつれ、先に述べたような隣同士を意識しない関係がますます広がっていくことは間違いないだろう。

 さらに、老人世帯になると、外出を抑え家でじっとしている人が多いようだ。これはある老齢者から聞いた話だが、外出するとどうしても「お金を使う」ので、できるだけ外に出ないようにしているとのことだ。

さもありなんと思う。限られた少ない年金暮らしでは、どうしてもやりくりのことを優先せざるをえないだろう。


 こうして、若者も老人もどんどん孤独化していく。

何かあって、部屋で倒れていても誰も気づかないし、姿を見なくても不思議に思わない社会が広がっているように見える。隣の家の米びつの中まで、互いに知っているという窮屈な「村社会」も困るが、孤立無援というのも困った現象だ。

 しかしまあ、ニャンコの世界には文字も言葉も無いので、それはそれで当たり前のことかもしれないけど、人間様には言葉による交流や意志の伝達方法があるというのに、どうしてお隣さんとそこそこのお付き合いができないのか、どうもよくわからないニャーとあたしは思います。

2月20日

 今朝のテレビのニュースで、さいたま市の60代の夫婦と30代の息子の3人が餓死しているのが発見されたと報道されていた。

 ニャンコのあたし達でさえ、食べ物には困らないこの時代に、まったくニャンということがとパパは絶句していたよ。

 

 発見された時には、部屋には食糧は何もなく、現金も数円しかなかったそうだ。

まあ、それにしても、うちのパパにゃんか、またまたお腹の周りが太った、どうしようと食べ過ぎ・飲み過ぎを止められないで困っているという有様だというのに・・・ この落差!

しかし、この豊かな時代に「飢え死に」ということが、本当にあるとはもう信じられないニャー。


 パパは言ってるよ。

今の時代、日本人は食べ過ぎで、糖尿病患者は約1000万人とか。隠れ糖尿病患者まで入れると、ざっと2000万人くらいになるのではないかと言われているそうだ。

 そんな時代に、飢え死にとは。少なくとも、生活保護というセーフティネットだってあるものを。

さらには、30代の息子がいたというのに、なぜ働いていなかったのかとも考えさせられる。

確かに、若者の失業が多い。仕事をしている場合でも、正規雇用ではなく、アルバイトや契約社員などという形態が多いようだ。

 実際、うちは不動産屋だからよくわかる。なぜなら、当社に来てアパートやマンションを借りたいと希望する人には、必ず「入居申込書」というものを書いてもらう。そこには現住所や勤め先はもちろん「年収」も記入しなければならない。最近、若い人の申込書を見ていて気がつくことは「年収」がどうも低すぎるようだ。

 先日も「アルバイトしかしていないので、年収は100万円くらいにしかならないけど、部屋を借りられますか?」と20代の青年が来た。見たところ、とてもまじめそうだったので、保証人がしっかりしてれいれば、いいですよということで、今契約の準備をしているところだ。

 このようなケースがここ二・三年急にふえてきたように見える。

アメリカでもほんの1%くらいの高所得層とその他大勢の低所得層が対立している。それで昨年にはウオール街の占拠事件が起きた。

 世界的に富者と貧者の格差が広がっているように見える。これが40年くらい前なら、左翼運動などが活発で、デモやストライキなどの実力行使に訴えて、賃上げなどの要求を勝ち取ることができた。

今の日本ではみんなが飼いならされておとなしくなり、そのような集団行動はほとんど見られなくなった。

 このような状況を見ていると、その昔の武家政権の

「百姓は生かさぬように、殺さぬように」 「寄らしむべからず、知らしむべからず」

という支配論理が現代によみがえってきているかのようにさえ見える。

 こんなことを、パパは言って、困った時代になったもんだと嘆いているよ。

2月16日

 夕刊に出ていた。新潟県の小学校の校長がスリをはたらいていたことが発覚したと。

記事によれば、授業等で誰もいなくなった職員室で教員のポケットなどからお金をとっていたそうだ。

何度も何度もそのようなことが起こり、教頭などから、問い詰められて白状したそうだ。

そのようにして、すり取られた金額は全部で十何万円かだそうだ。

何に使ったかというと、住宅ローンの返済に充てたと言っているとのこと。


 しかしまああきれた話だ。

そもそも、ウソをついたり、悪いことはしてはいけませんと日頃、人としての正しい道や道徳を教える学校の最高責任者が、よりによって「泥棒」を重ねていたとは・・・

開いた口がふさがらないとはこのことだ。

子どもたちに、なんと報告すればいいのだろうか?


 それにしても、この校長の頭の中身はどうなっているのだろうか?

多分、算数は学生時代以来、ずっと「1」ではなかっただろうか!

52歳にもなって、金に困った。そして、20万円にもならない盗みを重ねた。


 ここで、算数ができれば、退職ということを考えるべきだった。もしこの年齢で自主退職をすれば、退職金はおそらく2000万円はくだらなかっただろう。

しかしこうなった以上、おそらく退職金を棒に振ることになるのではなかろうか。もし、ゼロにならなかったとしても、大幅に減額されることは間違いないだろう。

 このように、公務員が時々、収賄や犯罪を犯して免職になるが、これほど割に合わないものはないと思う。

それでも、このような事件が時々起るのを聞くと、人間というものは業なものだと思う。

2月10日

 先日国立人口問題研究所が日本の将来人口の予測を発表した。

テレビなどでさんざん報道していたので、大方の人がご存知のはずだ。

 

 予想はしていたが、それにしても驚いた。

今の人口がざっと1億2800万人。50年後には約8700万人になるとか。

つまり、ざっと4000万人もの人が減るということになる。しかも、全体で減りながら、年寄りの割合はぐんと増えるそうだ。いわゆる、少子高齢化ということだ。

なんと、65歳以上の人が10人に4人ということだそうだ。

要するに、一言でいえば、まわりを見渡すと、およそ二人に一人が65歳以上のお年寄りてことになる。

ええ、冗談じゃあないよ。ジッサマとバッサマの国になるのかよ!若者の戸惑いの声が聞こえてきそう。


 まあそうはいっても、50年先の話だから。今、30歳以上のおおかたの人はいなくなっているとは思うけど。

もちろん、小生なんかはとっくの昔に、灰か土になっているはずだから、心配したものではないが・・・。

それにしても、想像するだけでも、大変な時代になりそう。

 どだいが健康で丈夫な働き手が少なくなるということは、衣食住のあらゆる面で困難なことが増えてくるということだろう。早い話が、今問題になっている豪雪による雪かきや雪下ろし。現代でさえ「困った、困った」と毎日ニュースで報道されているのに、50年先に4000万人もの人が減ったら、誰が助けにいってやれるのか。

 生活面でも経済面でも、労働者が減りサービスが低下していくことは恐ろしい。技術立国などといって、優秀な日本製品を海外に輸出してカネを稼ぎ、そのカネで石油や食糧などを輸入しているが、このやり方も維持できなくなり、国民の生活水準も落ち込んでいくのではないだろうか?


この人口問題の解決の方法は、太平洋戦争時に国をあげた

「産めよ、増やせよ」

という子だくさん家族を奨励するのが一番手っ取り早いだろう。しかし、そうはいっても、現代の女性は二人の子供すら産まないのだから、やっぱりむつかしい話かもしれない。

 あるいは、インドや中国などから、どんどん移民を受け入れるのも解決の近道だろう。

しかし、昔から一民族純潔主義を貫いてきた日本人の感性がはたして、色の違う人たちや言葉・生活習慣の違う人たちを何千万人も受け入れて、摩擦やトラブルもなく仲良くやっていけるのか、これまた怪しいと思う。

それやこれやと小生が取り越し苦労をすることもないだろうが、なんとなく憂鬱な問題である。