2月4日

 今日は暦の上では立春。おめでたい日かもしれない。

そんな日にふさわしい話題かも? いや、ふざけた話だと言われるかも? いや、信じられない話かも?


 ちょっと古くなったニュースだが、1月19日付の朝日新聞 2ページ 「ひと」欄に

同性婚を公表する大阪・神戸アメリカ総領事

という題の記事が出ていた。


 この男性米国人総領事(58)の夫は日系ブラジル人カネグスケさん(39歳男)だそうだ。

この形態は日米両国で公式に承認されているそうだ。くだんの総領事の日本赴任時には、日本政府はカネグスケさんに「外交官の配偶者」としてビザを出したとのこと。そして夫人同伴の催し物には「夫婦」で出かけるとか。


 こんな話が堂々と天下の朝日新聞に写真入り出る時代。

恐れ入りやした。一昔前なら、卒倒するジイサン・バアサンもいたかも知れない。

時代の移り変わりというか、人間のものの考え方の変化というべきか?


 それにしても、ボクには理解できないこと、おびただしい。

男と男。女と女。確かに、同性愛というのはその昔からあったそうな。織田信長と森蘭丸の例などが有名である。

しかし、そこまでは許せるにしても、「結婚」とは!ああ、結婚!!


 男が男に対して、家の中で

「ねえ、貴方」

なんてやっている姿を想像しただけで、頭の中が渦を巻くほど混乱しそうな思いをするのは、ボクだけだろうか?

いやあ、世の中、変わった!驚いた!ジッサマは退場すべき時なのかなー?

1月27日

 原発をやめたら電気が来なくなり、生産ラインが止まるとか市民生活に大混乱が生じるなどと言われている。よって、原発はやめるべきでないという理屈がまかり通っている。

しかし、二日ほど前に発表されたニュースでは

「国内にある54基の原発のうち今、稼働しているのは4基。残り50基は定期検査等で停止中。東京電力では17基あるうち稼働しているのは1基だけ」

と報道されていた。

 ということは、東京電力管内では原発は運転されなくても電気の供給はほぼ問題ないということだろう。

たった一基動いているだけで、停電もなければ電車も止まらない。

昨年の夏の長期にわたる停電や節電運動はいったいなんだっただろう?もちろん、この冬も節電は呼びかけられているし、電気が余っているとも聞いていない。しかし、市民生活には何の支障もなく、我が家でもエアコンは快調に動いている。

 ならば、このままずっと原発が稼働しなくても問題は無いのではなかろうか?

たしかに、その分、火力発電がふえたので燃料代がかかり大変だ。そこで電気代を値上げさせてほしいという話が出ているわけだ。まあ、そのことの是非や良し悪しはおいておいて、ともかくこれで何とかしのげるというメドがついたということではなかろうか。

よってこのような状態を維持しつつ、新技術の開発にまい進すべきであると思う。


 ところで、原発問題を考えるにあたって、最後に次のような意見を紹介したい。

1月15日付の朝日新聞朝刊、38ページに載っていた記事である。


「大事なのは命? お金?」

横浜で行われた脱原発世界会議で福島県郡山市の小学生、富塚悠吏君はこう呼びかけたそうだ。

「国の偉い人たちに聞きたい。大切なものは僕たち子どもの命ですか、それともお金ですか?」

「なんとなく怖い、って気持ちだけじゃあ、きっと脱原発運動は流行みたいに終わっちゃう。放射線の影響を受けやすいのは子ども。僕らにわかるよう教えてほしいし、それを伝えていきたい」

などと語ったそうだ。


 素直な子どもの目で見た、感想。これこそが、未来のために大人の我々がもっとも基本にして考えなければいけないことではないだろうか?


1月20日

 前回で技術の開発を急げと書いた。

ともかく自然エネルギーの利用で問題となっていることは、コスト=価格ということである。これが安価に手に入らないことには、なかなか普及していかないことははっきりしている。

 また、前回でもふれたが新技術とか発明とかは、普通に考えると

「そんなことはできっこない!」

ということを、できるようにするということである。事実、今とかその時には「不可能」と言われることが現実にできるようになることが「新発明」なのである。

 

 たとえば、一番わかりやすい話の例はこれである。

江戸時代、「人が空を飛ぶことができる」などと言ったら、キチガイ扱いされたはずである。

それが、たかが150年たった今では、空を飛ぶのは常識で、宇宙にまで行けるし、月にも行って帰ってきたのである。つまり、その時代に「非常識」とされることが永遠に非常識かどうかはわからないということである。

初めから「そんなのは無理だ」と言っていたら、いつまでたっても技術の進歩はないということだ。

 ただし、それが普通に利用されるようになるまでには、莫大な開発資金がかかるだろう。それを民間企業に独自にやれといっても、それこそ儲けのでない事業に資金をどんどんつぎこめる会社はそうは無いだろう。そこで、国が英断をもって莫大な資金援助をするべきだということだ。5年かかるか10年かかるか、あるいはもっと長くかかるかはわからない。しかし、利用できることは証明されているのだから、50年も100年もかかることはないだろう。やむをえないので、当面は原子力の利用も、現在あるもので本当に安全そうなものの稼働は認めるなどの措置をとるのは仕方ないことにすべきだ。


 ところで、「できないはずの技術」の開発の例で、できた面白いものが新聞に出ていた。

18日付の日経新聞朝刊、1ページの記事 ニッポンの企業力

繊維で自動車を作る 鉄よりも強い炭素繊維 (東レ)

折り曲げ可能なガラス (旭硝子)

などの記事が紹介されていた。

普通に考えれば、ガラスは曲げたら「割れる」のが常識。

つまり、できないという先入観を持っていたら、絶対に開発できない新技術の例である。

1月15日

 前回は原発がひとたび事故を起こせば、その被害はけた外れに大きいということを書いた。

よって、他の人類のいかなる発明でも事故によりそのような甚大な被害をもたらすものは無いので、比較の対象にはならないということだ。

 だから,このような危険な技術はもう使うべきではないと言いたい。

こういうと、だったら今受けている便利な暮らしを放棄するというのだなと追及されるだろう。そして、停電がたびたび起きて、エアコンが使えなかったり、電車が運休したり、パソコンが使えなくてもいいんだなと言われるだろう。

 もちろん、そのような便利な電化生活や産業活動が停滞していいはずがない。それは困るというのが、正直な感想である。そんなことを言うなら「原発反対だなどと言うな」というお叱りを受けるのは覚悟のうえである。

 

 そこで、私は提案したい。

自然エネルギーをもっともっと利用するようにするべきだ。

以前にも書いたが、まず太陽。無限ともいえるほどある太陽の熱と光。これはタダである。

次に風。いわゆる風力発電である。

そして海流や波の利用。もっと簡単なのはダムまでいかない、水車利用の発電。

こうしてみると、自然がもたらしてくれているエネルギー源は色々あると思う。ほかにもあるかもしれない。

 このように色々ありながら、その利用がなかなか進まないのは「コスト」の問題があるからである。

要するに一言で言えば「高い」ということである。

 しかし、ここで考えてほしいことは、色々な商品も最初は高くて手が出ないのは常だということである。

たとえば、自動車。そしてパソコン、あるいは携帯電話。はたまた薄型テレビなどなど・・・。

このような商品も登場してきた初期の段階では高値の花で庶民には手が出なかったはずだ。しかし今では、これらの商品や製品の無い家庭はほとんどないだろう。薄型テレビなどにいたっては、最初のころは100万だのもっとだのと騒がれていたはずだ。それが今では、4~5万も出せば買える。ということは20分の1くらいにまで下がっているということだ。

 このように、新製品は技術開発の初期にはものすごく高いけれども、普及してくるにつれて安くなるというのが資本主義社会の競争原理に基づく経済原則である。

よって、自然エネルギーの利用が今は高くついても、その利用を国家的レベルで推し進めていけば、将来はかなり安価なものになってくると思う。またその為にこそ、政府は莫大な予算をつぎ込み、研究開発を奨励すべきだと思う。そう言うと、二言目には「予算がない」というだろう。

 しかし、それは間違っている。たとえば、ヤン場ダム建設の再開。あるいは整備新幹線の着工などなど・・・。

本来は削れるものがたくさんあるはずだ。あるいは後回しにしても差し支えない事業も多いように見える。

問題は原発をやめることで不足する電力を自然エネルギーで補うということが、あらゆるテーマに優先するべきだということである。

 そうしないとまさに国民生活のレベルを大幅にダウンさせざるをえないことは事実である。と同時に産業活動の停滞を招き、倒産や失業がふえることもまちがいないからである。

今こそエネルギー政策を大転換し、世界に先駆けて新技術を開発すれば、その技術そのものを海外に輸出できるようになるはずだ。そうすれば国家的な収入もふえ、国民の生活も豊かになっていくはずである。まさに一石二鳥の効果が期待できるのである。


1月12日

 前回に少し触れたが、事故の影響というか結果ということについて書いてみたい。

専門家や技術者はとかく問題をむつかしく捕らえたり、科学的な観点などから評論をしたり意見を発表したりするが、ことの本質はちがうところにあると思う。

 確かに技術や科学の発展には理論や研究が欠かせないし、実験やそれに伴う失敗も必要なことだと思う。

しかし、とかく一番重要なことが忘れられている場合が多いように見受けられる。

それはいずれの研究や理論、そしてその成果としての技術や製品が何のためにあるのかという根本的な命題が置き去りにされているということである。

 つまり、この世に存在するずべての物は本来「人間の幸福」のためにあるべきであるという実に簡単なことである。この観点からすれば、人間にとって重大な脅威となるものは排除していかなければならないものであるはずだ。

 たとえば「原子力発電」。これがひとたび事故を起こせば、何万人・何十万人もの人に危害を加える。

さらに、瞬間的にそのような被害が生じるだけでなく、将来にわたって何十年も危害を人間に及ぼし続ける。よく言われている「ストロンチウム」の害はおよそ30年にもわたって続くとか。さらに猛毒の「プルトニウム」にいたっては何万年にもわたってその影響力が続くとか。

 ひとたびキバをむいた瞬間に、このような恐ろしい悪影響力をもつ「原子力」をこれからも「推進」していこうと考えることは、人間の存在に対する挑戦のようなものであると言わざるをえない。

いったん事故が起これば、これほど恐ろしく強く長く悪影響を及ぼす「原発」をまだこれからもどんどん推進していこうという人達は自分さえ助かればよそで被害に苦しむ人達が大勢いても、ちっとも苦しくないということなのだろうか?

 さらに、おかしなことは、事故の及ぼす結果を他の現代文明が持つ色々な製品や技術と同列に論じて、事故はどんな製品にもつきものであるから「原発」も事故を起こしてもやむをえないとしていることである。

自動車、新幹線さらに飛行機。いずれをとっても、ひとたび事故を起こしたとしても、その被害が最大の場合でも、死者が一万人を超えるなんてことはまずありえないだろう。ましてや、その影響により命の危険が何日も何ヶ月も続くなんてことは絶対にない。さらに、国境を越えて被害が広がっていくなんてことを想像する人はどこにもいないだろう。戦争のための兵器や武器を除いて、その他の便利な商品や製品などで原子力利用製品のようなとんでもない「被害」をもたらす「モノ」がほかにあるのだろうか?

 このような、ごく初歩的なしかし人間にとってもっとも大切な観点を忘れて、いたずらにむつかしい理論を振り回して、ことの本質を見ようとしない人達に猛省をうながしたいと思う。


1月8日

 週刊新潮の新年号に吉本隆明が

原子力発電は継続すべき

と述べたと書かれていた。氏は

「人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか」

「自動車だって事故を起こす。だからと言って自動車はもうやめようとは、誰も言わない」

などと述べて、今後も事故を起こさないように技術を発展させていくことが肝要であるといっている。


 吉本隆明と言えば、知る人ぞ知る有名人である。

戦後最大の思想家とも呼ばれている人である。氏は特に一部の人の間では「神様」のような存在であった。

氏の考え方は日本の高度成長期に起こった激しい「学生運動」の中で新左翼と呼ばれた人達にはバイブル的な意味合いをもち、大きな影響を与えていた。

私のような凡人には氏の説く思想はちっとも理解できなかったが、まちがいなく全共闘世代や新左翼の運動家たちには熱烈な支持者がいたことは事実である。


 このような超有名人の氏が何を思って「原子力発電」を支持しているのか、私にはさっぱり理解できない。

過去にどのような立場にいたから、だから現在も同じでなければならないなんてことはない。よって取り立てて問題にする必要は無いかもしれないが、あまりにも有名な思想家がなぜこのようなおかしな発言をするのか、残念ながらわからないし、影響力が大きいことを考えるとやっぱり黙っていられない。


 そもそも一度の事故でやめるべきでないというが、確かに日本では一度の事故だろう。

しかし、アメリカのスリーマイル島の事故、旧ソ連のチェルノブイリ事故と合わせ少なくとも「原発は三回」の事故を起こしている。しかもその事故の影響は桁外れに大きい。

 ソ連の事故から約25年たった今も、立ち入り制限区域はざっと4000k㎡にも及ぶそうだ。そしていまだに子供たちの肉体を蝕んでいるとのことである。

たった一回の事故が20年もそれ以上にもわたって深刻な影響をもたらしていて、この先いつまで続くかわからないことを「交通事故」と同列に論じるなんて、どこからそんな発想が出てくるのか、さっぱりわからない。

明けましておめでとうございます


どんぐりころころ どんぶりこ お池にはまって さあ大変

ドジョウが出てきて こんにちは 坊ちゃん 一緒に遊びましょう


1000兆円もの国の借金 消費税値上げ 円高 TPP 東日本大地震復興 福島原発事故処理等々 難問山積


しかるに、このドジョウ君まことに 泥くさく つかまえどころが無い どっかの坊ちゃんとのんきに遊んでる時じゃあないだろう! 困ったもんだ!


ギリシャに始まりイタリア・スペインへと続くヨーロッパの国家破綻危機

ホントは日本の方が一番ヤバイはずなのに・・・?


北の将軍様もお亡くなりになり、さあ大変 リビアのカダフィ大佐も処刑される 中東の混乱はまだまだ続きそう

タイでは大洪水、日本企業大損害 

米国では金持ち優遇政策反対、職をよこせとデモに座り込みが多発

かと思えば日本では、あろうことかバクチで100億円もすったアホなボンボンもいるというし・・・


どうでもいいけど、そっちでもこっちでも大騒ぎ

世界はどうなるの? それでも地球は回る


ドジョウ君頼むに足らず かくなる上は 「困った時の神頼み」


  ” 天にまします我等が神よ 悩める子羊を救いたまえ

    アーメン・ソーメン・ラーメン・ウドン・ソバ ”

  (こんなお祈りをしてたんじゃあ、神様はきいてくれないかも・・・?)


ふざけてる場合ではないかも知れませんが、それにしても大変な時代になりそう 

とは言え、今年一年、どなた様にも穏やかな年であってほしいいと思います

                                2012年元旦

11月7日

 この11月で、地球人口はついに70億人を突破したと国連が発表したとパパが言ってるけど、そんなに大勢の人がいて、あたしの食べるご飯は足りるのかニャーと心配になってきたよ。

ニャンでもこれからも毎年毎年約8000万人づつ増えていくんだって。8000万人だよ。80万とか800万とかなら、なんとなくわかるけど・・・

 恐ろしい勢いで地球の人口は増えていくんだニャー!

インドの人口はそう遠くないうちに、中国を追い越して、15億人になるとか。地図を広げて見ても、インドの面積が中国よりも広いとは、どう見ても思えないよニャー。もっとも、単純に広さだけを比較しても意味がないかもしれないけど。早い話、中国には人の住めないゴビ砂漠みたいな所や、チベットやヒマラヤ山脈のような高地もあることだし・・・。

 それにしても、あの国土に15億人!

さらに、アフリカでもどんどん増えていくんだって!

 

 一日、2ドル以下で生活している人の割合は、今でもインドがダントツで8億人ほどもいるそうだし。

アフリカにも6億人くらいはいるとか。

一日、2ドル。単純に計算して、約160円。衣食住ほか、ひっくるめて160円でほんとに生きていけるのか驚くというか、想像もできない。もちろん物価水準や生活水準が日本とは違うから、日本の物差ではかっても仕方ないかもしれないが、それにしてもひどい話だ。

 そんな最貧層の人々が、世界には26億人ほどいるそうだ(2005年データ)。

こんな状態のところに、さらに人数が増えて、本当に食料は足りるのかしら?

水は足りるのかしら?

 昔から、食えなくなれば人は食える所に押しかけていく。それは当然のことだろう。

そして紛争が起こる。さらには戦争ということも起こるだろう。

ともかく、この先、世界中えらいことになりそうだとパパはため息をついているよ。そういえば、とかくこの世は住みにくいとか漱石先生が言ってたよニャー。

10月22日

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし

たけき者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ


 リビアの独裁者、カダフィ大佐がついに殺害された。

今を去る何十年か前には、緑の革命を導き北アフリカの英雄と称された人物である。

しかし、それにしても、英雄の末路は哀れである。いや、英雄が英雄のままとどまっていれば、かくの如き哀れな結末には至らなかっただろうに・・・。

 

 しかし、振り返ってみるとほとんどの場合、英雄はやがて独裁者に転化していき、哀れな最後をとげている。

冒頭の平家の例は言うまでもなく、近世のヨーロッパでは断頭台の露と消えたマリー・アントワネット、そして現代ではヒットラー。つい近年ではイラクのフセイン大統領もしかり。

 歴史上の有名な支配者が最後には圧政に耐えかねた人民の暴動や革命の前に、悲惨な最期を遂げることは昔からいくらでもあり、十分過ぎるほど知っていながら、英雄は同じ過ちを繰り返す。

これはもう人間のサガとしか言いようがないのかも知れない。

 引っくり返して見れば、権力とはそれだけ恐ろしい力を持っているということだろう。人々に歓喜の声で迎えられ、人民のために善政をしこうという初心はいつの間にか弾圧と恐怖政治に変わっていく。権力を放したくない、渡したくない。その為には殺戮でも弾圧でも何でもする。これこそが権力が魔力である証明であるだろう。

このような歴史上の教訓がいくらでもあるにもかかわらず、今現在もなお同じ轍を踏んでいる独裁者が世界にはけっこういるようだ。

 わが国のお隣にも、それとおぼしき人物がいるのは周知のことである。いまさら、どうにも変えられないということなのだろうか?第二のフセイン・カダフィにならないように気をつけなさいと忠告してもどうせムダだろうけど、哀れな話である。

10月8日

 いやあ、驚いたとパパが言ってるよ。

ニャンでも今日の昼間、テレビ東京かどっかの番組を見ていたら、世界のモテ男とかいう特集をやっていたんだってさ。それを見て、パパはウーンとうなっていたよ。

話の内容は次のとおりだってさ。


 世界一のモテ男はこの人だとインドまで撮影に行ってきた。

インドの田舎の村に住む、ジオナさんという66歳の男性はなんと

「妻が39人! 子供の数が98人!」だそうな。


 あながち、ウソでは無さそうな話で、妻や子供たち家族全員を撮影した場面も放送されていたから。

まあ、やらせとかいうこともあるから、話半分としても、これはすごい!

世にオットセイ男とやらもいるとか言われるが、それにしてもびっくりする話である。

98人も子供がいて、いちいち顔を覚えていられるのか心配してやりたいくらいだ。いや、それよりも39人もいる

奥さんを人ごみの中で見分けられるのかしらとも気になるが・・・


 しかし、まあこんなことで驚いていてはいかんかもとパパは不可思議な顔をしているよ。

そう、「後宮の華麗3000人」と言われた始皇帝の例を考えれば、39人くらい何でもないかもしれないなーニャンてしたり顔もしていたよ。

 それにしても、人間が宇宙に6ヶ月も滞在できたり、月に行って帰って来れるこの現代社会にエライことがあるものだニャーと首をかしげてもいるよ。

もしかしたら、このブログを読んだ男性で「うらやましいなー」ニャンてことを思う人はいないよニャー?