令和2年も新しい年度がスタートしました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか・・・と言われても、この世界や日本を取り巻く”新型コロナウイルス感染症”、先行きが見えない現状に気が焦ったり、自粛、自粛で気が滅入ったりしてる方も多いかと思います。
気という考え方は、漢方医学(中国医学)の考え方です。
人の身体には気があまねく全体に張り巡らされ、そこから血や肉が出来ます。生命が誕生し、その身体が死を迎える時まで、心身を維持していくために気を養い続ける必要があるということです。
気=エネルギーと理解すると分かりやすいかもしれませんね。
気は、◆身体の栄養をつくる、◆その栄養を全身に循環させる、◆全身を循環させることにより身体を一定の体温で保つ、◆天気や季節、感染症など身体の外からくるストレスに対応する、◆身体にとって必要なものを常に保持する、◆気、血、水、腎精等それぞれが相互循環・補助し合い、身体に余分な物を汗や尿として排泄する、と、こんな働きがあります。
血は気から生まれるとされますが、血とは赤い血液のことです。
水は津液(しんえき)と言われ、赤い色のついていない身体の体液成分全般のことです。
元気には2種類あります。
一、先天の元気:これはご先祖様から受け継いで来たもので、父母から受精でいただいた体質とでもいいますか、生まれながらにして保持している気のことです。これらは腎に精という形で蓄えられます。
一、後天の元気:これは、この世に誕生後、先天の元気が蓄えられた腎から気(精)が成長や新陳代謝に使われます。その精気を支えるのが、食事によって得られる気(水穀の気)、呼吸によって得られる気(宗気)、それが肺で合流して得られる気(営気=営血)、水穀の気が肺にいかずそのまま津液の働き(保温、発汗、防御)となる衛気(えき)、これらの総称です。
このように「元気」とは、人が生まれてから死を迎える時まで、生命活動の営みや子孫を繁栄していくための原動力であり、目に見えない機能的なエネルギーのことなのです。
ここで出てくる肺や腎とは、解剖学的な肺や腎も含んだ東洋医学的な考え方の呼び名です。
父母からの恩恵によりいただいた気と、呼吸や食事によって得られた気を上手く利用しながら人間は人生を歩んでいくのです。
この気がある一つの場所に固まったり、不足したり、過剰になったりした状態が続くことが病気という状態ということです。
さて本題
貝原益軒 『養生訓』 巻第二 総論下 十三 ~元気を養う~
人々は毎日その日の昼夜の中で、元気を養うことと、消耗させることとのどちらが多いかを比較してみるがいい。
多くの人は、一日の内で気を養うことは少なく、気を消耗させることが常に多い。
養生の道は元気を養うことのみにつとめて、元気を損なうことがあってはならない。
もし元気を養うことが少なく、消耗することが多くて、それが毎日続けば元気が減り、病になってついに死を招くであろう。
それだから多くの人は病気がちになり短命に終わることになる。
限りある元気であって、限りのない欲を自由にしようと思うのは間違っている。
元気を養うとは、睡眠をよくとり、食事は腹八分目で暴飲暴食せず、適度な運動を習慣とし、怒りや不安などに心を過剰に向けるこなく安定させる。自分自身のそのような生活習慣や心の動きをコントロールすることが元気を養うということです。
ちょっと自分自身に置き換えても耳が痛いところが多いのですが。
むむ~っ、食べ過ぎると元気を損ないま~す
完璧にできる人は、その意志で実践すれば素晴らしいことなのですが、人は積極的に完璧に実践できる人なんて少ないと思います。
陰陽の考え方ではありませんが、人生いい時もあれば、悪い時もあるし、気分が良い時もあれば、すぐれない時もある。それでいいと思うんです。
いい時、悪い時、それのトータルで良い方が多くなればいいかなと私は思っています。運動も毎日やらなくてもいいし、毎日、精進料理食べなくてもいいんだと思います。この元気の考え方や養生を理解し、トータルとして身体や心に良い生き方、人生を過ごせば、楽しく病の少ない生涯を送れると私見でありますが、そう感じております。
最後まで、お読みいただき、ありがとうございます