Akie Fukuda(平田亜樹のブログ) -3ページ目

真の人間教育とはいかに

今、薩摩いろは歌を学んでいる。

ふと思い出した。

私は鹿児島県日置郡松元町立松元小学校で学んだ。今は鹿児島市立である。

松元という地名が消えた。

それはいたし方ないとして、クラスが【い】組と【ろ】組だった。

何十年も何も疑問に思わなかった。


しかし、今薩摩いろはからだと気づいた。

私は若い頃自分の故郷にあまり良い印象を持っていなかった。言葉も私が鹿児島県出身とわかる人は殆どいないくらい鹿児島弁は家庭以外では話すことがない。

おかげで、分からない鹿児島弁もある。残念な人である。


それは別として、島津忠良【日新公じっしんこう】によって和歌のかたちでその時代が荒んでいたことに憂え作ったと言われている。


昔のことかと思いきや、なんと鹿児島県の小学校では今も階段に貼られて子どもたちは自然に覚えていっているようである。


また、子どもが描いた絵と上の句を、例えば【い】と言っただけで、【いにしへの道を聞きても唱えてもわが行いにせずは甲斐なし】をさっと取るそうである。

それは薩摩の郷中教育【ごじゅうきょういく】で使われ西郷隆盛や大久保利通など日本🇯🇵を牽引していく人材を輩出した。


薩摩いろは歌はその後の武士道、教育勅語、軍人勅諭等を形成していくもととなったと言われている。


鹿児島県は確かに教育に力を入れる県である。私は長い間間違った解釈をしていた。

日本🇯🇵で最も貧乏県である。産業がない。男子は大学進学を機にほとんど鹿児島県に戻らない。


しかし、貧乏県になった理由が間違っていた。中学時代の担任の先生が退職後鹿児島県の観光ガイドをされている。その先生に教えていただいたのは、北海道へ当時の男性、普段は農業に従事していた下級武士の男性達が屯田兵として行ったことによると教えていただいた。


台湾統治初代総督の樺山資紀は薩摩藩出身である。先ず最初に手掛けたのが教育であった。教育が大切であるという理由である。人間教育である。今の模範解答を暗記するような教育ではない。


これはその後日本が併合した韓国やパラオ🇵🇼などでも先ず教育に力を入れていったことと繋がっていると私は思う。

もっと深めていきたい。

九州大学病院長辞任のニュースから

昨日九州大学病院長の辞任のニュースが流れてきて唖然とした。

ニュースの中では出張費が私用のため認められず、所謂虚偽の出張に関する文書を事務方に作成するよう命じたというような内容だったと思う。

先ずこれは犯罪である。

絶対こういうことはたとえ私学であってもしてはならない。

部下を思う気持ちはわかるとしても、自ら倫理を中村病院長自ら範を示すべき立場である。


昔から習い性としてやってきたのかもしれない。


金額は2万円以下だったと思うが、これ程の金額ならご自分のポケットマネーで出してあげたほうがまだ良かったと思う。


また、当事者も私用なら自分の身銭を使う方が潔かったはずである。

朱子学等を学び上に立つ者はもう一度自ら範を示すような生き方をしてほしい。


概して男達が僅かな金額の賄賂で職を失ったりするニュースを聞くたびに金銭に対しては無頓着なのだろうとも思う。

つかのまの休暇

都合14日間の休日を久しぶりに迎えたのも束の間であった。本や不要の書類など整理しようと臨んでいたにもかかわらずなかなか進まない。もうまもなくその休暇も終わりに近づいた。ものが多すぎ、物を捨てられない性分、夫には要らない物は捨ててねといいつつ夫からはあなたの本こそ捨てなさいと言われる始末。そういう状態の中にあるのにもかかわらずまた書籍を買っている。

 

今日は重要書類の整理をした。災害が起きたらもうあとは知らない。しかし、一応自分に不測の事態が生じたとき家族の者が困らないように整理をある程度済ませることができた。母は物を最小限にしていたほうだったが、それでも片づけのときはかなりの量であった。娘が15年くらい前に帰省しているとき、ゴミはタダ(無料)じゃないよ!!と私を戒めたものだ。