話題いろいろ | 城郭模型製作工房

城郭模型製作工房

城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

週明けから2日間かけて、いよいよ熊本城の大模型に取り掛かりました。

1人では到底無理な箇所が多く、お手伝いを頼んでいたので。

まず、原寸図作成。A4で100枚以上。

現存建物は平面を貼り付け。

発掘調査がされているところもデータを貼り付け。

建物の復元は、絵図や古写真は後の作業。まずは遺構の発掘調査の成果が土台です。

そして一気に地形の積み上げ。

1日目の作業終了段階。標高をそのまま縮小しているので、一番高い標高50メートルの本丸で高さがだいたい33センチくらいです。
5センチ厚の断熱材を切る作業で、3人ともぐったり。
私も次の日は朝から筋肉痛で。しかも四つん這いの作業だったので、腰から腿にかけてが久々に辛いことになりました。

次の日の作業でここまで。飯田丸の積み上げまで進みました。くらがり通路も見えますね。

計算した数字の書き込みがびっしりでしょ?
最終的には1ミリ単位で地表高を調整していきます。

購入した断熱材の山。近隣のホームセンターから買い占め状態です。

本日11月29日は「いいにくいことをいう日」だそうで(笑)、ツイッターのハッシュタグがトレンドになっていましたのでつい、つぶやきました。

#いいにくいことをいう日

この熊本城の大模型、材料費、大雑把に見積もってひゃくまんえん超えます。


大げさではなく。妻に言わせると、「そんなもんじゃない」そうですが。


2日間で思ったより進んだので少し気が楽になりました。

今後、一つ一つの建物を自分で復元考証して、模型化していきます。その集大成は来年の本の中で。


さて次は。

今話題の尼崎城!

史実と左右反転してる!とか、そもそもの場所が違う!とか本物志向の現在色々ご意見出ているようですが、地元にとってはとても活気の出るニュースだと思います。

そんな中、地元の方達が尼崎城のプラモデルを開発しよう!というクラウドファンディングを立ち上げられました。

今は第一弾として、シャチホコプラモを開発中だそうで。


これがかわいいの。

で、一目惚れして早速私も一万円コースで応援してきました。
なんでもAll or Nothing方式で、目標額に行かなかったら一円も入らないやり方での資金集めだそうで。
それでも見切り発車で制作を開始しておられます。

あと1ヶ月。賛同される方はぜひ応援して下さい。
リターンはこのシャチホコプラモですよー!

次の話題は。
こんな古い絵葉書を入手しました。

「盛時の大阪城」の模型の写真です。
千畳敷もあって、豊臣期を想定しているようです。
よくよく考えると、現在の大阪城天守閣が復興された昭和初期、現在の石垣は、天守台に至るまで全て豊臣期のままだと信じられていたのですね。
中井家本丸図が発見されるのは昭和36年。その頃からやっと豊臣の大坂城はどうやら地下に埋まっているらしい、ということになったわけです。

現在の天守閣は徳川期の天守台の上に豊臣期を模して建てられていてニセモノだ!という方もありますが、当時としては最新の研究の上で建てられたものであって、その批判は私にはかなり的外れに思えます。

そして、この絵葉書、よく見て下さい。

小天守が!
しかもどこかで見たことがある。

そうです。童友社のDX版やフジミの大阪城にある小天守と形が同じです。

(童友社(左)はメーカー完成品画像。フジミの方は画像検索から拝借。ゆくゆくは自分のに差し替えます)

現実には存在しなかった小天守がなぜあるのだろう、そしてこの形は想像なのだろうか?と昔から不思議でしたが、どうやら起源はここにあったようです。


最後に安田講堂。
現段階ではもう少し進んでいますが。
台枠をつくりました。これから前庭など進めていきます。
結構細かく高低があります。

今回はいろんな話題をひとまとめにしました。