映像用豊臣大坂城 総まとめ | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。



今日は最後に手前に御殿の屋根をつくりました。


本当に屋根だけなのでちょっと引くとこんな感じに。

しかも紙製で、これも見える面だけ。
破風面だけはプラですが、厚紙で作り和紙を貼り込み 


木粉をふりかけ

モデリングペーストで質感を整えて

塗装して完成です。

今回は版権なしで、ということでしたので、長年の念願だったオリジナル復元での精密模型としてつくることができました。

製作を振り返って総まとめです。

【外観の造形の方針】

方針としては

・外観意匠は「大坂城図屏風」を参考にする
大坂城が存在した時期に描かれたとされる屏風絵です。外壁が多くの紋章で飾られているのが特徴です。
宣教師の報告にも、天守は遠くから見えるように装飾されたということが書いてあり、本当に大きな紋章が並んでいたかもしれません。
もうひとつ夏の陣図屏風という資料価値の高いものがありますが、こちらは破風の構成など外観は全く違います。
大坂城は慶長地震で大きな被害を受け、天守も一度壊さなければ改修が不可能なほどのダメージを受けたとの記録もあり、外観がずっと同じではなかったかもしれません。あるいは建て替えが行われた可能性さえあるでしょう。
今回は特に、ドラマの時代設定が天正年間の完成間もない頃ということで、大坂城図屏風の外観意匠を表現しました。
そのほか最上階周りには夏の陣図屏風の雰囲気、大入母屋と唐破風の取り合わせは冬の陣図屏風や伏見城を描いた屏風の雰囲気を取り入れています。

しかしながら大切なことは、屏風絵というのは様式化、記号化されていますので、その描写を過信しないことです。

・その後の天守の源流たる姿にする
大坂城以降、全国で天守を上げた武将の目に焼き付いていただろう城です。秀吉の城は1つも残っておらず、その姿がはっきり分かりませんが、今日本にある城の姿の中に、大坂城の片鱗が残っているはずです。さまざまな城の姿を織り込みながら造形しています。
大入母屋の感じや最上階の木連格子の感じは岡山城。破風構成は熊本城(平側三角三段、妻側三角二段に最上階唐破風)。大和郡山城(二条城のち淀城)の雰囲気も強く出しています。特に大和郡山城は秀吉の弟秀長の城。兄弟関係の城です。 大入母屋の上、三重めから正方形に近くなるのは広島城。ちなみに広島城は大坂城のコピーと言われますが、私は肥前名護屋城の影響が強いと思っています。
最上階下の四方張り出しは独創的かもしれませんが、安土城の最上階の下の八角というのが、四方張り出しの角八つではという昔からの思いがありその布石です。
張り出しのある天守は数多くあるのに張り出しのある大坂城の復元案が今まで出ていないというのも不思議です。

・法隆寺大工がつくった超一級の建築の風格を目指す
大坂城を作ったのは法隆寺大工。当時の超一流の宮大工集団です。均整のとれた、超一級の天守の姿を目指してみました。

【図面の作成】 
図面が無いことには模型になりませんので、図面を引くところからはじめました。
当初は大入母屋を交互に三重に重ねた形で作図しましたが、鈍重な感じがして変更を加えました。四重目に張り出しの入母屋が来ることで重心が上に上がり、スラッとした印象になりました。

豊臣大坂城の天守は一間が7尺であったとされるので、7尺グリッドを引き作図しました。

宮上案と似ているというイメージを持たれた方もあるかもしれませんが、同じスケールで並べてみると…

全然違うことがお分かりかと思います。宮上先生の復元図は見事に7尺グリッドに納まります。そして、特に三重目から上は軒のラインがきっちり14尺間隔になっていることが分かります。私は、階高、つまり下の階の梁と上の階の梁を14尺で取りましたので、宮上案より高さが低いです。そして、宮上案は最上階は柱間は三間でもその幅は三間半あります。これは櫻井先生からの伝統を受け継いでおられるのだろうと思います。櫻井先生の復元案では最上階三間半四方、廻り縁の下の虎のある部分が四間四方とされていて、宮上先生もその通りにされています。
もう一つ考えられる理由は十二間に十一間という初重平面に対して最上階三間四方は小さく、バランスが難しいのです。
私は最上階三間四方で作図しましたが、全体を美しいバランスにするのが難しく、どのように逓減させていくかは本当に苦心しました。

今回は作図の段階から原寸で作業をしました。模型図面として引いていますので、同時に実際のプラ材の構造での断面図も重ねています。

【製作へ】
それゆえ製作はとてもスムーズに進みました。
通常の建築図面から模型を起こす場合は、一旦頭の中でプラに置き換えて、計算しながら作るのでその分時間がかかるのです。芯の箱組みは1日もかからなかったと記憶しています。

今回特に気を遣ったのが軒裏と軒の反りです。
美しいシルエットにするために軒は7尺出しています。大入母屋が重なることもあり、軒は桔木で支えて垂木は化粧垂木という設定で、全ての軒は二重構造にしています。

そうすると、出桁は理論上は必要ないのかもしれませんが、下から見上げる模型ですので、軒裏の密度を高めるために出桁を追加しました。これがあるおかげで、リアル感が増したと思います。模型としてのフィクションもかなり加味しているということです。

そして今回は、軒が深いこと、屋根が複雑に絡まっていることから、塗装も同時に進めながらの組み立てでした。

いつものように少しずつ色を加えていきます。

外壁をどうするかはかなり思案しました。
どこまで木部を露出させるのか。垂木は塗籠なのか。やはり天正期の天守ですので、垂木は素木の方が古風でしょう。
そして外壁を彩る大きな紋章。屏風絵では隙間なく紋が並んでいますが、窓は一体どこにあるのだろうか。紋章が木彫りの箔押しだとすると、その背景の板はどうなっているのか。まさか鎧張りの下見板ではなかろうし…

ということで参考にするのはやはり醍醐寺三宝院の唐門。まさに秀吉ゆかりの建物です。

こちらは門扉ですので少し状況は違うでしょうが、やはり紋を取り付ける壁はフラットなはずです。そこで、寺院や神社に昔から使われる横板壁ということにしました。

つぎに悩むのが漆塗りをどこまでの範囲にするか、ということです。流石に垂木までは漆塗りではなかろう。三宝院の唐門も組物以上は漆塗りではありません。
ということで、長押までを漆塗り、それ以上は素木に墨塗りということにしました。

垂木や腕木鼻は白く塗ります。なんとも古風。こういうやつですね。

大和郡山城の模擬復元の櫓もそのような感じです。

黒漆のところはほんの少しツヤを出しています。ツヤのスケールダウンはむずかしいです。 
    
     
今回はエッチングパーツが大活躍でした。
製作時間を短縮し、かつ完成度を上げるために使ったエッチングパーツは軒瓦、鬼瓦のほか、壁面紋章、破風板、懸魚、六葉釘隠し、窓の格子、高欄、蟇股、虹梁、最上階壁面、大棟などです。

いつものように 石屋模型店さんに図面をお送りして設計、製造してもらいました。


ただ、図面通りに製作していないと、エッチングパーツが届いた時に大変なことになります。
原稿を紙に出力したものを合わせながら製作を進めました。
懸魚は当初、岡山城のものをはめ込んでいましたが、蟇股が隠れてしまうこともあり、急に思い立って古川重春先生の、現在の大阪城の懸魚を使うことに。
急な思い立ちだったので、これは私が原稿を作り手直ししてもらいました。

金具が付いてくるとだんだん豪華になります。
突き上げ戸もついてフル装備になったところ。

遊び心も入れています。
初重の大入母屋の壁面は、大阪図屏風だと彫り物でいっぱいです。これをどう表現するかいろいろ考えて…。二重目の外壁の文様は牡丹唐草です。牡丹といえば獅子。ということで、唐獅子を配置してみました。


最上階に鷺、虎、四神と動物がたくさんいるので、獅子もなじんだかな、と。龍はどこでしょうね。

あと石垣にはちょっと力をいれまして。
スチレンボードの石垣ですが、影の入れ方を工夫しています。輪郭を書き起こすのではなく、影を書き入れる感じで。
けっこうリアルな石垣ができたと思います。

最後に図面と並べて。



今回は必要な二面しか作っていませんが、いつか残る二面も完成させたいですね。

撮影までには細かいところをまだまだ修正せにゃなりませんが、完成と致します。