「防長土図」を見る旅 (萩→瑠璃光寺も) | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

先日、地形好きの友人からラインがきました。

なにこれすごい。
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これを見るために山口方面へ一泊で行ってきました。

まず萩から。

松下村塾。
十畳と八畳の粗末な建物です。
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松陰がここで講義をしたのはわずか一年だそうです。一年で時代を変える人物を育てたと思うと…
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萩城へ。
毛利輝元公の銅像がお出迎え。
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天守台です。
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天守台上には礎石がきっちりのこっています。
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付櫓台には雨落ちらしき石組みが。古写真と見比べながらふむふむなるほどね、と。またいつか模型をつくる時が来たら…
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先入観でしょうか。石積みや石垣の反りの線が広島城に似ている気がしました。
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あの広大な広島城と比べるととてもこぢんまりとしています。この萩の地に移された輝元の気持ちはいかばかりだったでしょうか。
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地元の方と話す機会があり、天守の復元について聞いてみました。

「そりゃできればいいけど、お金がね。それもあるし、トップをきって壊したわけだから…」

とおっしゃっておられました。明治維新の先頭を進めたんだという誇りとの複雑な気持ちもあることを感じました。

菊ヶ浜と指月山。
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一路山口へ。
国宝 瑠璃光寺五重塔。
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日本三名塔に数えられます。軒の出が大きく檜皮葺で反り返った屋根、三重目以上には高欄が無いこともあり塔身が細く見え、スッキリと優美です。
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美しい。
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そして山口県立美術館へ。
今回の旅の目的、重要文化財「防長土図」。
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(ニュース記事の画像)

これは今から約250年前の明和四年に作られた、萩藩全土の立体地図です。
作ったのは萩藩の郡方地理図師、有馬喜惣太。
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友達からのラインを見て驚愕し、これは見に行かねばと思い足を運びました。

土で作った芯に和紙を何層にも貼り、固まったあとに中の土を抜いて張子状になっているそうです。
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垂直方向の倍率は4〜5倍に誇張してあるそうです。
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伊能忠敬の50年も前にこんな人物がいたとは…ただただ驚きでした。

幕府にも他藩にも例がない驚きの立体地図。「防長土図」の展示は山口県立美術館で4月1日までです。