テスト版の動画は明日まで公開です。その後差し替えます。
大名屋敷の製作にあたり、改めて資料を読み込んでみました。豊臣大坂城は4期にわたって工事が重ねられましたが、慶長3年からの最後の第4期工事が、馬出し曲輪の築造と南側への大名屋敷の整備だったそうで、追加で大名屋敷を作ったことによって、豊臣大坂城が最も壮大になった姿を模型で現すことができました。
さて、お客様のご要望で、南側の堀外に大名屋敷を作りました!
大名屋敷の製作にあたり、改めて資料を読み込んでみました。豊臣大坂城は4期にわたって工事が重ねられましたが、慶長3年からの最後の第4期工事が、馬出し曲輪の築造と南側への大名屋敷の整備だったそうで、追加で大名屋敷を作ったことによって、豊臣大坂城が最も壮大になった姿を模型で現すことができました。
今日中には全ての工程が終了しますが、その今日の日付8月18日は奇しくも秀吉が亡くなった日だそうです(ただし旧暦。慶長三年8月18日豊臣秀吉没。)
朝、Yahoo!のトピックスに上がっていてそれを知り、全く狙ったわけではなかったのですが、その偶然に驚いています。
振り返ってみると昨年の10月17日に最初のレイアウト案を提出。
ベースを60センチ四方と決め、地面の下地が完成したのが4月27日。
石垣と地面が完成したのが6月11日。
そして本日、秀吉の命日である8月18日に完成となりました。
途中、失礼なことに弱音を吐いたりしてしまい、申し訳なく思いますが、ご依頼主の情熱に動かされ、どうにか完成させることができました。
大きな財産をつぎ込んで下さったので、必ずや財産になる模型を、と私も全力を投じましたが、自分の未熟さに何度も打ちのめされ、満足していただけるか、それが不安でもあります。
どうしても拡大すると粗が目立ち、例えば土塀の壁は高さが1.5mmしかないため、マスキングしても塗り分けがシャープにいきません。
いつも接写に耐えられる作品を、というのが目標なのですが、限界を感じます。
それでも、模型は像を結ぶ距離があり、この模型はケースに入れてその距離で見たときに一番きれいに見えるように、と思って作りました。
おそらくこのスケールでこの規模の模型は今後作ることは無いと思うので、悔いの無いよう、発送まで手を入れます。