まずは全体の小さな建物を全部作ってしまおうということで蔵やらなんやら
棟もついていませんが、これから整形する櫓。
とりあえず隅櫓、蔵、長屋、門、土塀などをいっせいに作り、敷地を囲ってしまってから御殿を建てこむことにしました。
ちまちました作業を延々と続けています。
これは土塀のパーツです。幅は1.5mmしかないので、下見板と白壁の塗り分けに苦労します。
これは土塀の屋根。0.3mmの棟を貼り付けていますが、三角の頂点にまっすぐに取り付けるのが一苦労です。
これらのパーツ作りが終わればいっせいに組み込みが始められるのですが、それまでは地味な作業が続きます。
ちょっとここで横道に逸れて『匠明』について書いておきます。
『匠明』はお聞きになったことがおありかもしれませんが、日本建築を学ぶと必ず行き当たる木割書です。
木割とは建築の各部分の比例のことで、たとえば柱の太さや垂木の太さの決め方など、細部まで比例の基準が決まっています。以前、法隆寺五重塔の製作記事でも木割りには少しだけ触れました。
木割りは時代によって違いがあるので、建物の築造年代の推定などにも役立ちます。
『匠明』は桃山時代の木割りが納められていて、完備した木割り書としては最古のものです。現存している東大本は江戸幕府の大棟梁であった平内家に伝わったもので、かなり古い写本です。
門記集、社記集、塔記集、堂記集、殿屋集の全5巻あります。
例えば一番はじめの四脚門は
正面の柱間は1丈6尺にする
垂木は24枝
柱の太さは柱間の100分の11で丸柱
垂木の幅は柱の6分1
などからはじまり
腰貫幅は袖柱の10分の3
肘木幅は柱の10分の3
破風の幅
軒の出
反りの割合
扉の形状
板の枚数
八双金物の幅
閂の長さ…
などなど
微に入り細に入り比例が記載されています。
書いてある通りに図面にするとこんな感じ。
いわゆる秘伝書です。
当時、職業は世襲でしたから、大工さんも必ずしも才能のある人が後を継ぐとは限りませんでしたので、このような秘伝書が作られました。
「木割書の第一の利点は著しく醜いものが作られるのを避けうる点にある」と太田博太郎先生は指摘しておられます。才能があるものはこれを基準にさらに発展させることができました。
「現代に施行されている和風の建物を見ると、せめて匠明に書いてある程度の基礎知識があればこんなものはできないのにと思われるものが多い」と太田先生は言われますが、模型もしかりです。
今回、なぜ匠明の話題を出したかというと、5巻目の「殿屋集」がいわゆる御殿の木割り書となっており、しかも匠明は桃山時代の木割り書ですので、姿が分からない西の丸の御殿や重臣の屋敷に大いに参考になるからなのです。
「東山殿屋敷ノ図」。真偽は別として、すくなくとも当時、御殿建築の配置の基本として使われていたということは分かります。