地面ができた段階で記事にします。
今日はまずお知らせ。
熊本城調査研究センターからご連絡を頂き、飯田丸五階櫓の模型が5日の朝から二ノ丸駐車場にて展示されるそうです。
先日、国会図書館で入手した資料の一部をご紹介します。今後の製作のための資料です。
彦根城天守の図面。立面図四方。初めて見ました。
各階平面。
付櫓も。
断面図、構造図やら
解体時の構造写真。
細部写真。
文化財の建物は「修理報告書」が必ず作られますので、大きな図書館に行くとあります。私は東京国立博物館の資料室か国会図書館を利用します。見たことのない方向からの図面や細部の詳細、写真も豊富で模型製作には欠かせない資料です。
付櫓も。
断面図、構造図やら
解体時の構造写真。
細部写真。
文化財の建物は「修理報告書」が必ず作られますので、大きな図書館に行くとあります。私は東京国立博物館の資料室か国会図書館を利用します。見たことのない方向からの図面や細部の詳細、写真も豊富で模型製作には欠かせない資料です。
同じく彦根城の三重櫓。
熊本城は全域の実測が行われていないようで、調査研究センターの方に聞きましたが、石門周辺も実測図は無いようです。
これは天守再建時の図面。
宇土櫓の実測図もありましたが、これは修理前の姿。マニアックなので複写してきました。今は無い入口が1箇所と階段が2箇所あります。
現在はありません。
以前の記事で宇土櫓の続櫓の二階部分の形が驚くべき変化を遂げていることをご紹介しましたが、修理の際に元の形に復されたのでしょう。じゃあそもそも入口はいつ作られて続櫓の形もいつ変わっていたのか、調べてみるのも面白そうです。
この階段と入口は童友社のプラモデルには再現されています。1960年代の開発かな?と思うので、当時の状態はよく再現されています。
あと、大きな丸で囲んだ構造物、これは何だかご存知でしょうか。御殿の跡?加藤神社の礎石?これは1960年代の航空写真です。この構造物がしっかり写っています。階段もありますね。
この構造物ですが、天守地階の礎石だそうです。
名古屋城も天守の北側に礎石が移されているのでそれと似たようなものかもしれません。ただ、『日本城郭全集』には「一の天守と二の天守の地下石組構造が造られている」と書いてあるので、移設したのか、同じように再現した別物なのかは分かりません。
これは現在はありません。