名護屋城取材とか幻のキットとか | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

今日は製作中の名護屋城の取材のため、現地を訪ねました。

まず名護屋城博物館。
目指すは復元模型と名護屋城図屏風。あとは図録などの購入。
復元模型。縮尺300分の1ですが、周辺の陣屋や城下まで含めていますので巨大です。
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学術模型なので、樹木もありつつも、曲輪の構成など一目瞭然です。

名護屋城図屏風。おそらく展示されているのは模写版でしょう。
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あと「肥前名護屋城と天下人秀吉の城」という図録と研究紀要を購入しました。図録の方は、名護屋城だけでなく、安土城、大坂城、聚楽第、伏見城など、図面や写真、発掘の資料などかなり内容が充実しています。

名護屋城博物館から名護屋城大手口を望む。
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現在、名護屋城では、アプリをダウンロードして、博物館でチェックインすると、GPSの位置情報と連動して、往時の姿のCGを端末内で見ながら城跡を巡る「ヴァーチャル名護屋城」を楽しむことができます。
私も予め携帯にアプリをダウンロードして行きました。博物館でノートパッドを借りることもできます。

子供を背負いながらVR名護屋城を楽しむ私。
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名護屋城は、秀吉が文禄・慶長の役のためにつくった陣城ですが、普請の統括役は黒田長政、加藤清正、小西行長がつとめました。総奉行は黒田長政。縄張りはその父、黒田如水が引いたといわれます。
この西海の僻地に「中央ブランドの城が設計・施工された」(『天下人の城』)のです。
秀吉が建てた城はそのほとんどが埋もれていたり、跡形も残っていなかったりして目にすることができません。石垣山城もほぼ壊滅状態で、この名護屋城は秀吉直営の城跡を実見できるという点で貴重だと言われます(前掲書)。

ただし、その名護屋城も、一揆などの拠点とならないように徹底的に壊されました。石垣は角の部分がほとんど崩されています。
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本丸。小高くなっているのが天守台です。
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名護屋城は案内板が充実しています。
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発掘の成果など、写真や図面を多用して、大変詳細です。このような説明板がいたるところにあり、きちんと見学するなら1日はかかりそうです。

水の手口の石垣。
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遊撃丸の石垣。
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二の丸から見上げた天守台。
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大きな鏡石のある三の丸櫓台。
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いろいろ見てきました。

あとは最近、ヤフオクで私の中で幻のキットとして探していたものを手に入れました。
フジミの「銅皮膜特殊加工済 名古屋城」。キット自体は現在も売られている「大名古屋城」と同じですが、屋根の表面に、銅皮膜加工が施してあります。
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石屋模型店さんの記事(分野別→プラモ考古学→建築→ブロンズシリーズ)を読んで、その昔、フジミの建築シリーズに一時期銅加工のものがあった、というのを知って、探していたのです。数も少ないらしく、たまにヤフオクに他のものが出ているのは見たことがあったのですが、名古屋城には巡り会えていませんでした。
腐食させると本物の緑青を吹くのです。

腐食のさせ方や緑青の具合をランナーの部分で試しながら、そのうち製作します。

それと先日、全国城郭模型普及協会に入会しました。
今現在、ヤフオクへの出品を通して私なりの城郭模型普及活動をしておりますが、いろんな方との交流を通してスキルアップや情報交換をしたいとの思いもありまして。あとは何と言っても静岡のホビーショーに出品できるということで、展示向けにも作品作りをしていこうと思っています。