松本城の当初計画の姿です。
この計画変更の理由は明らかではありませんが、松平正直が在城した寛永10年からの6年間に、修築が行われており(このとき辰巳付櫓と月見櫓の増築が行われたというのが定説ですが、根拠は薄いようです)、正直が家康の孫にあたることから、この修築は豊臣色を払拭するためのものとも考えられます。
その時に現在の形になったのかどうかは不明ですが、廃された意匠は、最上階望楼の回り縁、比翼千鳥破風、切妻の出窓ということになります。これらの意匠が豊臣的なのでしょうか?
1585年 大坂城
1593年 名護屋城
松本城
1595年頃 大和郡山城
1597年 伏見城再建天守
岡山城
1599年 広島城
1601年 熊本城
となります。松本城は肥前名護屋城と同じ年ですので、豊臣系の天守としてもかなり初期のもので、大坂城の影響を強く受けていた可能性もありそうです。
縄張りなど、中世城郭の雰囲気を色濃く残しながら、この五層天守は不釣り合いともいえるほどの存在感です。父の遺志を継ぎ、天守を完成させた石川康長は、身分不相応の城を建てたことも理由の一つになり改易となりました。
今回、童友社のスタンダード松本城をほぼストレートに使っています。このキット、相原模型からの金型を引き継いでいるそうですが、大変気合の入った造形です。石垣を実際より高く表現するなど、美意識も感じられ、風景の切り取り方も大胆で、情景模型としてもよくできています。石積みも野面積みの雰囲気がよく出ていて、溝が太いこともありますが、金型の限界でしょう。