
研究によると、創建時の名古屋城天守は、現在と違い、一層目から四層目までは土瓦、最上層だけが銅瓦だったそうです。
また、破風は黒漆塗りの木連格子に鍍金された錺金具が取り付けられていたようです。

また、多聞櫓は下見板張り。
童友社のjoyjoyコレクションの名古屋城を、この創建時の姿で彩色しました。
多聞櫓の長さや配置など、実際とはちがいますが、そのまま組み立てています。

ただ、窓は全てプラ板でふさいでいます。

小天守の周囲にかなりスペースがありましたので、御殿の一部も再現しました。小天守前から順に、上台所、孔雀の間、上御膳立所、黒木書院になります。慶長創建時は、上台所以外は柿葺だったようですが、瓦葺です。辻褄が合いませんね・・・

濃尾大地震までは残っていて、錣葺だったという上台所も寄棟です・・・風呂屋方もありませんし全く忠実ではありません。
でも御殿があるだけで表情がぐっと違いますね。




いつかフジミの名古屋城を拡張して、本丸全体御殿つきを作ってみたくなりました。