リティ・パニュ、クリストフ・バタイユ

「消去 虐殺を逃れた映画作家が語るクメール・ルージュの記憶と真実」

 

 

これまでカンボジア関係の本を読んできて、これが一番重苦しく、痛みが伝わってくる内容だった。

作者のリティ・パニュはカンボジア出身で難民としてフランスに渡った映画監督。

これまでにカンボジアのクメール・ルージュによる虐殺についての映画を制作していて、この本の内容は本人が10代の頃に体験したことの回想と、映画制作のためにカンボジア特別法廷で起訴されたS21(拷問や処刑が行われた収容所)の責任者ドッチにインタビューした内容とが書かれている。

 

当時10代の作者が家族を殺され(父親はいわゆる知識層に属していた)、病気に苦しみ、多くの人が飢えて死んでいく様子を見ながら強制労働をさせられた場面は非常に痛々しい。

作者の問いかけに嘘を混ぜながら(=罪を認めない)平然をと答えるドッチにはぞっとさせられる。

虐殺を生き延びた作者がこういう人物に接するというのは想像もできない重荷に違いない。

自分の傷口をこじ開けるような行為だが、それでも何が行われていたのか真実をを明らかにしたかったのだろう。
 

以下、本文より

 

私はドッチを理解しようとも裁こうとも思わない。ただ彼自身が組織した死のプロセスを詳しく解説する機会を与えたかった。

 

作者「ドッチさん、何日も何週間も拷問され続けた囚人の叫び声が聞こえたでしょう?」

ドッチ「そもそも何の音も聞こえません。監房や拷問室から遠い執務室で書類とにらめっこしていたのですから」

(明らかに責任逃れをするための嘘である)

 

ドッチの言葉「借りた血は血で返せ。お前を残しておいても何の得もない。お前を消しても何も失わない。クメール・ルージュとは消去です。人間には何の権利もありません」

 

囚人が死んでも家族には知らせない。死体を返さない。理由も説明しない。

オンカー(革命組織のこと)に弁明は必要ない。なぜならオンカーこそが唯一の家族だから。

 

ドッチの言葉「生体解剖は解剖学の研究のためでした。私は賛成しませんでしたが」

 

作者「S21ではあなたの部下は往々にして悪意に満ち、残忍でしたね?」

ドッチ「とんでもない。悪意もなければ残忍でもありません。悪意や残忍さはイデオロギーとは関係がない。指揮するのはあくまでイデオロギーです。部下たちはイデオロギーを実践したまでです。」

ドッチはイデオロギーの信奉者だ。

イデオロギーに従うなら、敵は始末すべきゴミにすぎない。ゴミの処理は衛生、機構、組織に関する実務だ。

 

私は子ども時代を消してしまいたい。跡形もなく。

 

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この本の「消去」というタイトル。

個人の権利を消してしまうというクメール・ルージュの考え、壮絶な体験の記憶を消してしまいたいという生存者の気持ちの両方を表すのだろう。

この作者が作った映画「消えた画」も見てみたいと思った。