湘南ってどこからどこまで? | 新・神奈川見聞録 ~オリコミクス・スタッフブログ~

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♪いつになればー湘南~、恋人に会えるの~♪
♪サヨナラ~、湘南MY LOVE~♪


湘南と言えばどこら辺?
サザンやTUBEの歌って、多分、茅ヶ崎あたりの海岸線でしょう!?(;・∀・)

皆さんの思い描く「湘南」もその辺りかと思います。
でも、この「湘南」って実はテレビやらなんやらの印象操作で出来上がったものなんですよ。

そもそも「湘南」という地名の語源は中国の「湘南県」
以下はwikipediaからの引用。

「湘南」の由来

「湘南」とは、もともと現在の中国の湖南省を流れる湘江 の南部のことで、かつては長沙国湘南県が存在し、中世には禅宗のメッカとなった。日本における「湘南」も禅宗の流入に伴って広まったと考えられ、「禅宗」を保護した鎌倉幕府の北条得宗家 が居し、国内初の禅寺 「建長寺」や「円覚寺」を擁した鎌倉周辺の地域が、中国の「湘南」にちなんで名付けられたといわれる[2] 。実際に、円覚寺の僧夢窓疎石 の周辺には「湘南」を冠する人物・建築が散見される。また、1664年 ごろ、室町時代に中国から日本に移住した中国人 の子孫が小田原に居してういろう 商人となり(崇雪という人物)、自ら創設した大磯鴫立庵 に建てた石碑に「著盡湘南清絶地」と刻んだものが、現在の神奈川県周辺域における呼称の起源ともいわれる。この石碑は複製品が作られて鴫立庵の庭にあり、本物は大磯町が管理している[3]


鎌倉、小田原、大磯の地名があるので、今の「湘南」とほぼ一致。
少し言うならば、小田原に少し違和感を感じる人も、もしかしたらいますかね?(;・∀・)

で、さらにはwikipediaからの引用。

明治期の「湘南」

江戸期に大磯発祥の命名とされる「湘南」は、明治期に政治結社名や合併村名に用いられた。当時、相模川以西地域が湘南、相模川以東地域は湘東または新湘南という認識だった。明治期の「湘南」は、山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域に限られていたと考えられる[4]

 

明治維新 により、当時西欧で流行していた海水浴 保養が日本にも流入し、適した保養地として逗子葉山 、鎌倉、藤沢 など相模湾沿岸が注目されて別荘地となり、湘南文化が芽生える。

 

1897年赤坂 から逗子に転居した徳冨蘆花 が逗子の自然を國民新聞 に『湘南歳余』として紹介する。翌1898年 、元日から大晦日までの日記を『湘南雑筆』として編纂して随筆集『自然と人生』(1900年 )を出版[5] する。これを端緒に「湘南」は、当初の相模川 西岸から、相模湾沿岸一帯を表すように変化する。


おっと!「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西」
その後に拡大解釈して相模湾沿岸一帯になったとな。
つまり、オリジナル湘南には湘南イメージの「茅ヶ崎」が入っていない!!(;´・ω・)

でも車のナンバーで見ると・・・



山北、秦野といった皆が想像している「湘南」からはかけ離れた場所まで・・・・!
いや、「山と川が織りなす景観を持つ~」には合致している。
さらにさらに今の相模原あたりには、その昔「湘南市」が存在していたらしい・・・(;'∀')

もしそこまで範囲を広げるとしたら、ほぼ神奈川全域が「湘南」ということに・・・(^^;


ただし、この湘南範囲に住んでいる人の感じ方はそれぞれで、
「ほら!やっぱりうちも湘南じゃないか!」
「いや、うちは湘南に入れないで!」
「あそこは湘南じゃないでしょ!」


などなど・・・

最近の妥協案(?)としては「沿岸地域一体を指す」で落ち着き始めているようですが、
皆さんのご意見はいかがでしょうかね?

夏も近づくこの季節。
「夏」といえば「海」、「海」といえば「湘南」。

今も長く続く「湘南論争」
夏に向けてもう一度、暑く語ってみるのも面白いかもですね(*'▽')

Author:あず