↑のお話
否定されたり抑圧させられながら、
人間は同時に「学習性無力」というもの
を身につけていきます。
厄介なのは、
無意識にコンフォートゾーン※が
そこ(自責や抑圧)に
自動設定されちゃうことでしょう。
※コンフォートゾーン
=自分の中の当たり前/慣れてる感覚
価値観のミスプリントです。
それは小さな病になります。
否定された数だけ、
自分で肯定/解放できるような時間空間が
必須になります。
その習慣をつけてあげるのが大切
*ˊᵕˋ*
猫に大好き可愛いを言ってたのが
私には自己肯定の種だったといつかも書きました。
同居してる存在への態度や言葉
が大切なのは、
「自分が毎日無意識に飲んでるお水」
の様なものだからです
それが砂糖入りだったら?
カフェインだったら??
…いえ、化学薬品だらけだったら
身体のこと、考えなきゃならないので
うまく調整しますよね
私はそれに気がついた頃
丁度LABを習っていまして…
あれ、他人を分析することより
自分を変えるために必要なスキルでした。
「回避的、否定的な言葉を自分にばかり
かけてるよねーーー???」
と、指摘されつつ
あれこれと課題やってるうちに
私の脳内って
表現が逆じゃね
「〜しない様に」ばかり考えながら、
「しなくちゃ」に追われてるな?
まだ行動してないのに、
いつも次に追い詰められているの
なんで??
まだ行動してないのに、
いつも次に追い詰められているの
なんで??
回避しながら強迫観念??
「〜しないように(何かを)しろ??」
って
え、なに
このコトバの矛盾
という回路ができました
これが依存だったり
パニック障害強迫神経症なんかを引き起こす
思考の癖なんです…yoね。
そんなのでいっぱいでした…
どうして、ただ
「する!」
って選択肢が出てこないのかしら??
って思いました。
ただ、雨降ってる。
ただ、洗濯しよう。
って感じで。
言い訳や感情の
入っていない言葉
にしたいのに、
私が無意識に自分にかける言葉は
いつも言い訳や自己洗脳ばかりでした。
それっっっだけ
自分で自分を無理に奮い立たせ
追い詰めることで動かして
生きてきたって証なんでした。
そんなだから、
いつも辛かった、生きにくかった
あ、こりゃ病気だよな、と
自分でも思ったもん
副交感神経の入る隙間がないじゃん??
なので、
いちいち能動的に変えました💪🏻✨
めんどくさいほどに
繰り返しながら、毎度毎度私に
優しく問いかけました。
動作は一つ
ずつね。一つの言葉で一つ動くと
ストレスが少ないよ。
「〜してもいいよー!🙆🏻♀️」
(しなくてもいいよを含む)
にかえようね
これは度々言ってたけど、しつこくてごめんね
洗いものしなきゃ、は
「洗い物していいよー」
しなくてもいいしあなたに任せるわ調
と、問いかけるor 言葉に変換しない
で洗い物残骸をじーっとみるだけ。
誰かの言葉を受け取るたびに
脳内の「自己罰」を消して、
私からは許可だよに換えていくように
したら、楽にできました
(めんどくさい理論は以下!)
「しなくちゃ」→超自我(他人軸)
他人規範
「してもいいよ」→自己許可自分規範なので自我(自分軸)
「したい」→欲(エゴ)
社会的規範がまだ確認されてないもの
なので法律や誰かの許可、
確認して納得することが必要。
社会的規範がまだ確認されてないもの
なので法律や誰かの許可、
確認して納得することが必要。
自分軸、自己肯定って、
自己(動作)許可に翻訳できる力
だったのでした。
そんとき、やっと、ゼロ地点に
辿り着いた様にみえました
なかなかのアハ体験でしたっ
自己肯定感って、
「評価」や「自信」とは
ほんっっとに無縁だよっ