人は夜寝て、朝起きる。起きないこともある。

カミさんの母がそうだった。彼女は毎日のルーティ

ンとして、毎朝、生存確認のため徒歩1分の距離の

母の顔を見に行く。その日も、以前あったように

室内灯、テレビが付いた状態だった。おはようと

声を掛けるが返事が無い。二度寝でもしたかと

立ち去りかけて異変を感じた。寝息が聞こえない。

触れるともう肌に温もりはなかった。

急いで帰り僕を呼びにきた。

見に行った。

冷たかった。

カミさんが昨日の夕方持って行ったカレーが

きれいに全部食べてあった。

穏やかな寝顔だった。
最後の晩餐はカレーライスだった。

テレビとかで最後の晩餐に何が食べたいかという、

やり取りをみることがある。答えは人によって

それぞれ違うが、これが最後の晩餐だと自覚して

食べることはあり得るか。ドコドコのアレが食べ

たいと言う人もいるが、瀕死状態で食べに行くと

は考えられない。翌日執行が宣告されている囚人、

自ら死を決意している人以外にはありえない。

彼らの場合は、実際に聞かれてもオプションは

限られるだろう。死ぬ前に何が食べたいかという

問いには答えられるが、これが最後の晩餐だ、

と食べる前に決定付けることはまず不可能だ。

そのシチュエーション自体があらかじめ想定

出来ることはまずない。

また、人は亡くなる最期に食べたものへの思いを

ずっと引きずっていくのだろうか。

一時的な味覚と脳記憶へのプラス程度で、通常想定

される死直前の体力では味わうまでいかないだろう。
彼女は準備されたカレーを全て平らげ、食器も

洗い上げてあった。娘の手料理を食べた安心感に

満ち足りたのか。最期に食べたものが娘の手料理

だったことは魂に刻むためなのか。

残したラストメッセージなのか。
一緒になることが決まった頃、映画好きな人で、

特に小津安二郎監督作品が好きらしい。

とカミさんが言うと

「ほうか。若いのに変わった人やなぁ」

と言ったらしい。
R.I.P.