今の仕事に就き出した頃は、貰った名刺枚数と得られる

情報量は単純に比例すると思い、ひたすら名刺交換し、

保存していた。貰った日付を書いておくと、

後日どんな状況で貰ったかを思い出し易いと言われ

裏面にメモしておくようになった。

その方が転勤し、後任者と会うタイミングで前任者の

名刺は整理するが、処分することは難しい。
この名刺もそんな中の1枚。
お客様から名古屋市中区で所有するマンションの売却

依頼を受け、お願いに回った不動産会社のうちの一社。

その会社は当時、岐阜支店で頻繁に取引する間柄だった

ので、名古屋の物件も、購入希望者を探して貰うため

店頭にお願いに行った。

応対してくれたのが店長当時の高羽さん。

物腰の柔らかい穏やかな人だった。

事件発生後、顔と名前が浮かんだ。

岐阜支店の人とは「大変だったですね」と

言葉を交わしたが、それきり。

毎年、事件が発生した時期の未解決報道で思い出すくらい

だったが、名刺は何故か整理する気になれなかった。
昨年、 事件が急展開し容疑者確保に至った。当初は犯行を

自白していたが、その後は黙秘しているらしい。高場さんの高校テニス部の同級生らしいが、報道だけでは奥さんに殺意を抱くほどの恨みの発生原因は不明だ。学生時代に告白されたが、お断りし、下校時にストーカー風の待ち伏せはあったが、以後、卒業後の同窓会で顔を合わせるまで何もなかったのであれば、容疑者候補に入る訳がない。

報道で映されるファミリービデオの風景が自分たちほぼ同じ時代背景のせいか、他人事とは思えない怖さがある。

振り返れば、昔、告白されたけど断ったことが全くないとは言い切れないので、同様な事件に巻き込まれていてもおかしくない。

事件現場の保全保存、DNA判定という捜査手法の進展、

怨恨者というクローズド・サーキット内での犯行が容疑者

確保に繋がったが、事件が起きていなければ普通に過ぎたであろう日常生活は蘇れない。

名刺が一枚整理できる。

 

 

「昨日、眼下の敵を観た人?」と先生は言った。

小学校2年の時。朝の第1声だった。

アメリカの駆逐艦とドイツの潜水艦Uボート。

大西洋上の男と男の対決。ロバート・ミッチャムと

クルト・ユルゲンス。互いに頭脳を駆使し、相手の

先を読み、裏をかこうとする。

Uボートはエンジンを停めて音を消し、駆逐艦の

ソナー網から逃れ、航路を目掛けて機雷を撃つ。

駆逐艦はUボートを見失ったように見せかけ、罠を

仕掛ける。Uボートは、味方のスパイと接触する

ポイントが決まっているので、航路を変えても

最終的には元の航路に戻る。

どちらが生き残れるか。
先生は気持ちのいい、男同士の戦いと言った。

確かに、よくある狂信的ナチスは出てこない。

艦長は「我が闘争」を読んでいる部下を冷やかに

見ている。古いタイプの職業軍人だ。

そろそろリタイアを考え始めている。

一方、駆逐艦の艦長は、妻と子供が乗った客船を

ドイツ軍に沈められた過去を持つ。復讐心はあるだ

ろうが表には出さない。人員不足のための人事異動

で艦長になったと周りが思っているが、明晰な頭脳

を持っていることが徐々に判る。
僕は当時観ていなかった。後日、日・月・水・金と

週4回あった民放の洋画劇場のどれかで日本語

吹き替え版を観た。

今回NHKBSで先日放送された字幕版を初めて観た。

清々しい気持ちになった。

先生からの宿題をやり終えた気がした。
洋上のお話しなので出演は男性オンリイ。女性は

出てこない。当時船に女性が乗ることは禁止されて

いたのかなと思ったが「ペチコート大作戦」という

アメリカの潜水艦に女性乗組員が搭乗し、敵を撹乱

するために、海中からペチコートを放出する、

ケイリー・グラントとトニー・カーティスがダブル

主演するふざけた映画もある。ロバート・ミッチャムクルト・ユルゲンス

眼下の敵The Enemy Below (1957) - IMDb

ペチコート大作戦Operation Petticoat (1959) - IMDb

 

人は夜寝て、朝起きる。起きないこともある。

カミさんの母がそうだった。彼女は毎日のルーティ

ンとして、毎朝、生存確認のため徒歩1分の距離の

母の顔を見に行く。その日も、以前あったように

室内灯、テレビが付いた状態だった。おはようと

声を掛けるが返事が無い。二度寝でもしたかと

立ち去りかけて異変を感じた。寝息が聞こえない。

触れるともう肌に温もりはなかった。

急いで帰り僕を呼びにきた。

見に行った。

冷たかった。

カミさんが昨日の夕方持って行ったカレーが

きれいに全部食べてあった。

穏やかな寝顔だった。
最後の晩餐はカレーライスだった。

テレビとかで最後の晩餐に何が食べたいかという、

やり取りをみることがある。答えは人によって

それぞれ違うが、これが最後の晩餐だと自覚して

食べることはあり得るか。ドコドコのアレが食べ

たいと言う人もいるが、瀕死状態で食べに行くと

は考えられない。翌日執行が宣告されている囚人、

自ら死を決意している人以外にはありえない。

彼らの場合は、実際に聞かれてもオプションは

限られるだろう。死ぬ前に何が食べたいかという

問いには答えられるが、これが最後の晩餐だ、

と食べる前に決定付けることはまず不可能だ。

そのシチュエーション自体があらかじめ想定

出来ることはまずない。

また、人は亡くなる最期に食べたものへの思いを

ずっと引きずっていくのだろうか。

一時的な味覚と脳記憶へのプラス程度で、通常想定

される死直前の体力では味わうまでいかないだろう。
彼女は準備されたカレーを全て平らげ、食器も

洗い上げてあった。娘の手料理を食べた安心感に

満ち足りたのか。最期に食べたものが娘の手料理

だったことは魂に刻むためなのか。

残したラストメッセージなのか。
一緒になることが決まった頃、映画好きな人で、

特に小津安二郎監督作品が好きらしい。

とカミさんが言うと

「ほうか。若いのに変わった人やなぁ」

と言ったらしい。
R.I.P.