去年、がんの確定診断の予定直前、遠方の親戚が亡くなった。

話すと長いのだけど、セレモニーには行かなくていいとなった。

ごく一部の親族にはガンのことを伝えてあったことへと配慮か、

もしくは我が家から派生?(違うな…けど言葉が浮かばないのでこのまま)する別の親族との関わりを検討してのことだったのかもしれないし、その他の諸々の理由によりそうなったようだ。


検査が立て込んでいたうえ、それがガンの確定診断だった我が家が、お出かけしている余裕がなかったのは事実。

ただ、主人としては、顔を出せなかったこと自体はずっと気がかりだった。

治療が年末に終わり、とうとうお墓参りに行くと最近言い出した。

諸々の理由により私は墓参りには反対であった。

ちなみに私は運転が出来ない。

東京方面までは片道5時間以上かかる、…休憩時間一切とらなくても。

…過酷すぎる…。

朝の5時すぎに出発し、

現地でのお墓参り所要時間20分、

帰宅は8時となった。

疲れた

ひたすら疲れた。

それでも主人としては気が済んだようだ。運転を代わってあげることも出来ない私の付き添いを随分ありがたがってくれた。

東京方面とあれば、普段フォロワーさん達が色々アップしている、食べ物とか、ついでに立ち寄れそうな観光のようなことも出来るかもとか。

何より、偶然あえる手はずが取れたらいいのになと思った。僅かな時間でもあってお互い話せたらな。


が、普段引きこもりで。何より私は車に酔うし、運転できないし。も〜数日も前からナーバスで機嫌も悪く体調もプレッシャーでドンドン落ちて行った。だからといって、ひとり旅に出すのも心配で。

そのメンタルで遠方への外出の、楽しいリサーチを模索することは諦めた。


飲める薬全部飲んで、途中でも飲んで、それでも頭痛やら目眩やらで、なんとか帰ってこれた。

途中とるべき食事もあまり美味しく感じることもないぐらいヘトヘト。

ここの○○が美味しいよ等、聞かなくて良かった…(T_T)


自分がなくなったとき、残った誰かにお墓とかお葬式をどうしてほしいか考えたとき、誰しも思い当たることだけど。

きっとそういうものは、本人ではなく、のこされた人たちの為のシステムだなと思っている。

誰にも伝えず遠くの親戚の人のお墓参りをしたいと言った主人の気持ちには、考えさせられるものがあった。


唯一、車移動の(行きは曇り)帰りの最中に眺めた富士山だけが旅の思い出になった。

なにせ無事帰ってこれて良かった。

四年前そこに出向いたときは裾野だけしか眺めることは出来なかった。そのときは広いんだなと不思議な気分になったものだ。

毎年車で気軽に行けるような距離ではないので、貴重な一日だった。