また過去のことなので内容薄い文なのだけど。


一年経過した実感は、やはりMRIの結果を知らされた、そこからのカウントになる。

今日もしみじみ当時の話になった。

猫がなくなり、

私が膀胱炎になり最寄りの内科へ。

そこでは体調が全く改善しなくて病院を泌尿器科に代わった。

あのとき、病気になって良かったし、病気が治らなくて本当に良かった。

生きてきて、病気になって良かったとか、治らなくて良かったなんてことがあるんだなぁ。


癌だと判明して、どのタイミングだったかな、今日からホルモンの薬を飲みましょうと処方をされた。

その一粒を夜に主人が飲んだときの安堵といったら…。

(無知なのでどれほど「安堵」に値するのは今ひとつ理解していない)


いつまでたっても「癌の疑い」「癌の疑い」そればっかりで、確定できる検査には届かず、そんなこんなしている間にも、癌が体の中で進行していってしまうではないか!と焦る気持ちで毎日怖かった。

それがホルモンの薬を飲む=一旦その進行を止められる!進行はしないんだ!そこ大きい!!

そんなふうなイメージだった。

ある程度そうだろうけど、そんな単純な理屈でもないのかも、けどそのときはそんなふうに広く物事を想像する気力が自分にはなかった。

安堵だった。

病気になるほどに猫を失ったことは悲しかったのに、悲しむ余裕もなくなる日々の始まりだったけど。

一年すぎた今でも、リビングには邪魔な猫出入口を取り付けたまま、人間が通るのにわずかに不便もある。

キャットウォークも出窓もそのままだ。

抱っこが嫌な猫だったが、世界で1番可愛い猫だ。