去年の今日、確かMRIの結果を聞きに行った日だったかと思う。記念日だった。


3月に血液検査で、PSAの数値により再検査の必要があるとなり大きな病院を紹介された。

念の為だから、と。

紹介状を私が1人主人のかわりに受け取りに行った。

先生は、実際に癌の可能性は少ないですからねと言ってくれ、それを20%といったか、もっと少なかった数字だったか、記憶していないが心底安心しつつ、けどマイナス思考なので本人には伝えなかった。検査して実際に大丈夫と分かるまでは、ぬか喜びになる可能性が万が一にもある以上、黙っておいてあとで同じ話を何回もして喜べばいいからと。


地元の大きな病院でやったのは簡単な触診だとか何だったかなともかく大したことはやらなかったようだ。

出掛ける前には、一回行けば解決するようなものだと思いこんでた。

次はMRIの予定を入れてきた、と帰宅した主人に言われたときのガッカリ。

てっきりその日に大丈夫だったと聞かされるとばかり思い込んでいたのに。

けどあとから普通そうするものだというようなことを、読んでだったか教えてもらってだったか知り。

なら仕方ないなと、

自分にしたら、その日が来るまで長い長い時間を待って過ごした。

これでMRIが終わったら、きっと大丈夫で、私はさぞ、そのタイミングにきたらワーワー泣いて、(私の)具合も悪くなって寝込むだろうかそれぐらいの心労だ、と。もう手に負えないぐらいの反動で脱力するだろうなと。


それなのに一年前の今日、

ほんとうは記念日だったのだけど。

MRIの結果は前立腺がんだということだった。

本人はショックすぎて

結果を知らされたあと、その流れで生検の予約をと言われたのに、しぶって帰宅してきてしまった。

目の前が真っ暗になった。

3ヶ月待って血液検査をして様子をみてみる、生検なんて、それをしたらしたでリスクがあるとか、…ここからはうろ覚えなのだけど、主人のなかでは、あたかも癌がもし存在しない状態なのに生検したら、その刺激で癌が生まれる可能性があるんじゃないかだか、なにかそんなようなことを言い出してしまい、少しの間説得をした。

矛盾していた。

要するに痛いのは嫌いなのだ。

検査をしなければ、先には進めない…その絶望のなか説得をした。

が、あまり激しい言い合いをしてもいけないと、途中から押し黙ったような、そんな一日となった。


帰宅してから5時間程度経過したとき、やはり受けるしかないかと本人のなかで納得できたようで。

が、病院の電話がその時間には繋がるはずもなく。


後日電話をしたら予約なしでここに診察というか、出向き、MRIの予約をとりに来てくださいと言われた。週末を挟んだ形になり、MRIの結果のときに生検の予約をとらなかったことで、大きく、大きく検査のスケジュールに遅れをとったとそのとき感じたのを記憶している。

イメージとしては、生検は予約が立て込んでいるものなので、MRIの結果直後ならGWの前に予約できたに違いない、がタイミングを逃したことで連休のあとにズレた日時しか予約は取れなかった、自分のなかではそんなような被害妄想状態だった。

日記をみると、確かに予約を取りに行ったら、検査は一ヶ月後しか取れなかった。がMRIの直後の予約確保ならどうだったのか、いまとなっては知る由もない。


治療が終わってみたら、その差は大したことはないと思った。

そのときには3月に疑いが判明し、進行度合いを細かく調べてからの確定診断にあんなに時間がかかるとは想像できなかった。

当時は焦るばかりだった。

どんどん癌が進行していく、早く調べきって癌を食い止めなければと焦っていた。


その日は私もついて行った。

何時間も何時間も待合室で待った。2時間を超えたあたりからは時計をみるのをやめたかと思う。

地元の大きな病院は古くて、居心地のいい場所ではなかった。トイレが便所と明記されているような大きな古い病院で、なのに玄関の天井は無駄にアールヌーボ的なディティールで。街なかからは離れ、近くに店もないような、何だか時間が止まったような場所。よほど最寄りの病院では対応できないときだけ、ここに来る、嫌な思い出の場所だ。何せアクセスが致命的に不便な場所だ。


そんなわけで去年の今日は、せっかくの記念日を祝えるはずもなく、それから始まる不安というか、我慢というか、そんな日々を想像し重い気持ちになったんだった。


あれから一年だと思うと本当に感慨深い。

私は料理とかは得意でもないし、新しく覚えようという気持ちも弱い。

記念日は今日だけど、

昨日都合が良かったので、しみじみ主人と話す機会があった。

マンネリの華やかさに欠けるあっさりヨーグルトのケーキを焼いて二人で食べた。肥満が気になるので罪悪感少なくたくさん食べられるから好評のようだ。

お祝いだからと買ってきたり頑張ったりするべきなのだろうけど、なんだか癌になるまえの、ありきたりの生活な一日のほうがいいように思えた。

昼間もいつものように、どうでもないあちこちに細々買い物をしていたら終わっていくような、そんなありきたりな一日を過ごした。おしゃれしてどこかに行くものなのかもしれないが、目にはゴーグル、口にはマスクの花粉厳戒態勢でそんなに楽しめる場所があるかは謎だ。

主人は何でも自分で買わないと気がすまない性格、そもそも買い物が全く区にならない。

広告を眺め、ここの珈琲が安い、そのあと肉は…などと、どうでもないスーパーや薬局を本人が納得するまで付き合うと、なんとなく一日は終わるのだ。

そういえば、葬式が出来て、慌てて昼のうちに白いカッターシャツを買っておいたところ、この襟がいやだと自分で買い直しをしていた、そんなこともあった。

ジャンプーも、入院のときの靴下も自分で決めないと納得できないらしい。

そんなわけで主人の休日は無駄に細かい用事だけで終わっていく。


そういえば、ホルモンの副作用ですっかり太り、お腹が私のようにぷるんと出ている。私なら早々に大きいサイズを買い換えるものの。

ホットフラッシュで暑くなると脱ぐときあからさまにお腹でてるのにちっともTシャツを買い替えてくれない。

さりとて私が買って納得するはずもない。

こんなふうに見た目の老いと向き合っていくものなのだろうか?


もしかして、多少我が家は貧乏なのではと今更ながら気がつくことはある。

けどまあ地味なケーキを作って、前回好評だったキンパが薄味になりイマイチだったなとか、

イオンに行って何品が惣菜を買ったものの、買うと高いだなと結局ミンチを使う分だけ買って急いで麻婆豆腐を作って食べたり、マークマンでテレビでやっていたパーカーを買いに行ったり。

そんな日常が本当にありがたい。


ちなみにワークマンの店長は人見知りなので、これで何年目になるだろうか、何とか距離を縮められたら達成感あるな、と。半年に一度くらいしか行かないお買い物で気合が入る。