ゴールデンウィークは楽しかった。行きたかったところに行けて、遊びたかった人と遊べ、新しいカメラでたくさん綺麗なものを撮った。

そんなゴールデンウィークが終わろうとしている。朝日と共にいつも通りの毎日が戻ってくる。

大学が嫌いなわけではない。それでも大学が始まる瞬間が怖くて眠れない。

理由は分かっている。私は「やるべきこと」がある状態にとても弱いのだ。授業に出なければ単位がもらえず卒業できない。4回生で必修の授業がある、それはもう義務である。

私は自分で入れた予定でさえ義務化すると負担になる。友達と電話をするにしても、その場で今電話しようとなれば負担なくできるのに、明日の夜ね、となるとしんどいのだ。

学校は義務の塊であるし、約束も義務になりやすい。義務だと感じることがダメらしい。同じ予定でも義務と感じた途端負担になり、むしろ実行することが困難になる。

これは私としては本当に困った問題で、重要な予定から先に実行できなくなるこの現象をなんとか止めねばならないと思っている。

1番私が恐れているのが、生きることが義務になってしまう(少なくともそう感じる)ことだ。義務に感じた途端しんどくなるなら、うっかりぽっくり逝ってもおかしくない。

今は生きたいから生きているのだと思っているし、生きたいと言うことも多い。
これは願望であり、生きなければならないという義務ではない。

しかし、気づいたことがある。私が生きたいと言う時、隣にはいつも死が座っていた。
死はその顔の部分にある渦巻く闇からじっと私を見つめているのだ。私が気づくと、手を差し出してくる。この手を取れ、この手を取れ、と。
死が近すぎると私は生きたいと言う。
でないと闇に引き寄せられ手を取ってしまいそうだからだ。

私の生きたいは、自分を繋ぎ止める鎖だ。

生きなければならない、という義務に感じることよりも、恐怖を感じながら生きたいと叫ぶことの方が、実は大変なことなのではないだろうかと思うようになってきた。