平成5年。
初めての国家資格となった「鍼灸あんまマッサージ師資格者 第1期」として臨床家となり、今年この4月、臨床経験は26年目を迎えました。
東洋医学の臨床家として生き残れてこれたことは、誠にありがたいことです。
日本伝統医学の中で高名な師匠について修行をしていましたが、訳あって破門となりましたので、師匠についてお名前や経歴など具体的なことを語ることは控えます。
むかし医学を志す者は、師匠のもとに弟子となり、まず床板を揉む修行から始まったそうです。 「板揉み10年」 そう教わりました。
その中から少し器用な者は、お灸への道を進み、あんま指圧師100人が大成するならば、灸師として大成する者は10人。
さらに鍼師として大成する者は1人。
そう云われるほど、感覚的にも技術的にも学術的にも困難な道が、鍼灸師の修行には待ち受けています。
しかし同時に師匠からは、今日のあんまマッサージと鍼灸は、治療目的の施術と慰安(いあん)目的の施術に大きく分けられている現状を踏まえ、安易に慰安目的施術とならないよう、逆にあんま指圧の業を行うことを堅く戒められました。
世俗の欲から身を律して、険しい伝統医学の探求への道を進むことはなかなか難しいことです。これは身につまされます。
「経絡治療」(けいらく治療)という日本伝統鍼灸医学の一領域は、東洋医学の病理生理を考察しつつ治療を体系化するという欲求から、一部の理論派臨床家たちの熱狂的な支持を得ます。
同時に中国伝統医学である「中医学」の治療理論体系が、毛沢東以降の中医学と西洋医学の合作機運からのまがい物であるという要らぬ批判も引き起こし、日本国内における不毛ないざこざもありました。
そういう争いの橋渡しになりたいと、1996年からniftyのパソコン通信時代には、多くのやり取りを重ねてきたこともありました。懐かしい思い出です。
私は5年間日本伝統鍼灸医学「経絡治療」を主とした師匠に教えを乞うてきましたが、その後破門となり、そこから様々な道を模索してきました。
破門後の8年は、住居を鹿児島から福岡に移したりしながら、経絡的な治療以外にも、現代中医学的な鍼の技法や、解剖学に則った現代医学的な鍼方、さらに吸玉や瀉血治療や耳鍼、灸術の多様性、さらに特殊な皮膚マッサージの手法などを学び、臨床に取り入れてきました。
その後は生活の為と遅ればせながら「臨床家としての本格的な手を作りたい」という根本的な劣等感から「訪問マッサージ業」に転身して、鍼灸治療は自宅で最小限の患者さんに行いながら、主として「手技療法」を磨いてきました。昔ながらの修行の順番を前後しながら、手をつくるマッサージ臨床を継続。
そこで会得してきたものが、人体最大の臓器「皮膚」の経絡的な「緩み」「緊張」という面、線のアンバランスと、経穴(けいけつ)と呼ばれるいわゆる点である「ツボ』の深さによるアンバランスをどのように感じ取り、治療技術に転換するのか?という臨床家にとって自らの治療方針を決める私なりの大命題だと思います。
あーーー前書きが、長くなりました。
昨日、自宅の木から落下した頚椎損傷の患者さんから、「先生の指が柔らかくて、首の皮膚を引っ張って貰う時間が夢心地な上に、肩を指圧して貰う響くような力強さと、動きにくい腕を動かして貰う時のその痛さと、その後の爽快感が堪らない。と言っていただけたことが、私の臨床25年のご褒美だったと感じたもので。。。こんな文章を書きましたとさ。笑