喧嘩力
「喧嘩できるようになって下さいね!」
英会話のカウンセラーの人に言われた言葉。
英語でも、喧嘩できるくらい頑張って下さい、という激励の意味も込めてそう言って下さったのだった。
喧嘩力。
自分でも本当によく分かっているけれど、
自分に足りない力だ、と思う。
(江戸っ子のくせに。。)
その人が、海外にいたときの経験を語る中で、
様々な国籍や人種の違う人たちと話すときに感じたことらしいけれど、
やはり、世界の人びとは自信家なのだそうだ。
日本人はよく言われるように、和を尊び、勤勉で控えめな傾向がある、と思う。特に世界の他の国や地域の人たちと比べると。
自分も全く、その日本人的傾向は、強いと思う。
その人いわく、海外の人たちは、できなくても「出来る」という自信を持っており(良い悪いは別として)、日本人はできるのに「出来ない」と言う、らしい。なるほどと、頷けるような気がした。
主張する力は、ときとしてとても重要なものだと思う。
最近頓にそれを感じる。主張できなければ誤解を招いたり、後々まで尾を引く事態にもなりかねない。
和を尊び、勤勉で控えめということが、決して悪いことではないと思うけれど(むしろ日本人の美徳では勿論あると思うけれど、)
自分の考えていることや思っていることを、きちんと言葉に出して主張する力も、
人生においてはとても重要であると思う。喧嘩、まではいかない、としても、、、です。
自分の場合は、思っていること、考えていることが沢山あって、それを瞬時にうまく言葉にまとめることが苦手であると思う。(こうして文章に書いてまとめるほうが、うまくいくように思う。)
勿論、日常的なコミュニケーションで、あまりそういうことはないけれど、
何かについての意見を問われたり、○○についてどう思うか?といった聞かれ方をしたときに、瞬時に自分の考えをまとめて話すことが苦手であるような気がする。
意見が無いわけではないが、イエス、ノーではっきり言えることは、少ない。
だから、どう答えたら良いのか、と考えているうちに、何も考えていないと思われるような気がする。
だんだん話がずれてきたような気がするけれども、主張力は重要である、と思う。
自分はもっと白黒はっきりしたい。。はあ。
しかし、フランス語の先生が、日本人は沈黙するけれど、沈黙にも意味があるんでしょう?と言っていて、「分かってくれている!!」と、その時思わず思い、嬉しくなったのです。。
しかし、やはり喧嘩力を身につけることは(実際に喧嘩をするという意味ではなく)、自分にとって、日本語でも、外国語でも、課題であると認識している。
主張することはコミュニケートすることであって、相手を打ち負かす、だとかそういうこととは違う。互いの考えていること、感じていることを伝え合い、相手を理解することのために、必要なのだ、と思う。
英会話のカウンセラーの人に言われた言葉。
英語でも、喧嘩できるくらい頑張って下さい、という激励の意味も込めてそう言って下さったのだった。
喧嘩力。
自分でも本当によく分かっているけれど、
自分に足りない力だ、と思う。
(江戸っ子のくせに。。)
その人が、海外にいたときの経験を語る中で、
様々な国籍や人種の違う人たちと話すときに感じたことらしいけれど、
やはり、世界の人びとは自信家なのだそうだ。
日本人はよく言われるように、和を尊び、勤勉で控えめな傾向がある、と思う。特に世界の他の国や地域の人たちと比べると。
自分も全く、その日本人的傾向は、強いと思う。
その人いわく、海外の人たちは、できなくても「出来る」という自信を持っており(良い悪いは別として)、日本人はできるのに「出来ない」と言う、らしい。なるほどと、頷けるような気がした。
主張する力は、ときとしてとても重要なものだと思う。
最近頓にそれを感じる。主張できなければ誤解を招いたり、後々まで尾を引く事態にもなりかねない。
和を尊び、勤勉で控えめということが、決して悪いことではないと思うけれど(むしろ日本人の美徳では勿論あると思うけれど、)
自分の考えていることや思っていることを、きちんと言葉に出して主張する力も、
人生においてはとても重要であると思う。喧嘩、まではいかない、としても、、、です。
自分の場合は、思っていること、考えていることが沢山あって、それを瞬時にうまく言葉にまとめることが苦手であると思う。(こうして文章に書いてまとめるほうが、うまくいくように思う。)
勿論、日常的なコミュニケーションで、あまりそういうことはないけれど、
何かについての意見を問われたり、○○についてどう思うか?といった聞かれ方をしたときに、瞬時に自分の考えをまとめて話すことが苦手であるような気がする。
意見が無いわけではないが、イエス、ノーではっきり言えることは、少ない。
だから、どう答えたら良いのか、と考えているうちに、何も考えていないと思われるような気がする。
だんだん話がずれてきたような気がするけれども、主張力は重要である、と思う。
自分はもっと白黒はっきりしたい。。はあ。
しかし、フランス語の先生が、日本人は沈黙するけれど、沈黙にも意味があるんでしょう?と言っていて、「分かってくれている!!」と、その時思わず思い、嬉しくなったのです。。
しかし、やはり喧嘩力を身につけることは(実際に喧嘩をするという意味ではなく)、自分にとって、日本語でも、外国語でも、課題であると認識している。
主張することはコミュニケートすることであって、相手を打ち負かす、だとかそういうこととは違う。互いの考えていること、感じていることを伝え合い、相手を理解することのために、必要なのだ、と思う。
to be sensible
自分ひとりでは取りこぼしてしまうものに、
気付かないものに気付かせてくれる、そういうものや人びとと出会う時間が、必要だ。
「人間の眼は、自分の見たいものを見る。」
昨日、印象に残ったアーティストの方のことば。
自分の知覚している世界の外側の声や音や風景を、意識してみること。
感覚を開いてみるということ。
それは、とても大切なことではないかと思った。
そして感謝を忘れないで生きること。
気付かないものに気付かせてくれる、そういうものや人びとと出会う時間が、必要だ。
「人間の眼は、自分の見たいものを見る。」
昨日、印象に残ったアーティストの方のことば。
自分の知覚している世界の外側の声や音や風景を、意識してみること。
感覚を開いてみるということ。
それは、とても大切なことではないかと思った。
そして感謝を忘れないで生きること。
特別な才能の無い自分が考えたこと。
世の中における、天才や秀才と呼ばれるような、所謂非凡な人、gifted personの割合は、ほんの一握りではないかと思う。
そうではない人間のひとりが、考えたこと。
大切なことは、スキル(技術)やリソース(資源)が足りないことよりも、一歩踏み出す勇気であったり、無用な怖れを抱かないこと、自分の考えを人に表明できる力の方ではないか。
それさえ持っていれば、スキルやリソースは実践する中で補っていけると思う。
特別な才能が無くても、怖れを捨て、一歩踏み出すと、自分のまわりの物事が変わって見えると思う。そして、一歩踏み出したということのみであっても、自信は出てくる。そして、人に考えを表明することができれば、自分に必要な情報を提供してもらえることもあるし、いざというときに助けになってもらえることもある。
特別な才能が無くても、やり方はあるんだと思う。
何かを成し遂げている人は、必ず沢山のことを実践し、そして失敗している。
実践し続け、失敗し続けることって、本当に大切だと思う。
じたばたしよっ!!
そうではない人間のひとりが、考えたこと。
大切なことは、スキル(技術)やリソース(資源)が足りないことよりも、一歩踏み出す勇気であったり、無用な怖れを抱かないこと、自分の考えを人に表明できる力の方ではないか。
それさえ持っていれば、スキルやリソースは実践する中で補っていけると思う。
特別な才能が無くても、怖れを捨て、一歩踏み出すと、自分のまわりの物事が変わって見えると思う。そして、一歩踏み出したということのみであっても、自信は出てくる。そして、人に考えを表明することができれば、自分に必要な情報を提供してもらえることもあるし、いざというときに助けになってもらえることもある。
特別な才能が無くても、やり方はあるんだと思う。
何かを成し遂げている人は、必ず沢山のことを実践し、そして失敗している。
実践し続け、失敗し続けることって、本当に大切だと思う。
じたばたしよっ!!