Un poisson rouge -173ページ目

考えてしまうこと

※この日記は下書き保存しておき本日(18日夜中)に書き加えて公開したものなので、一部事実関係が前後する部分があります。


先日東高円寺のお家に、大阪コリア国際学園の授業のビデオを見に行った。



みんなで行った焼肉、安かった。安くてたくさん出てきた。おいしかったというか、楽しかった。

何故か男性陣と同じ大盛りのご飯を頼むことになった、この私…



コリア国際学園ではBlue Birdsと、生きてるだけでグレイトスで別々の授業をした。


グレイトスの授業は、ビデオで初めて見たけど、感動した。あたしが、中学生や高校生で、あの授業を受けたなら、心動かされること間違いないだろう、と思った。


Blue Birdsの授業は、反省は散々した。

反省点が多かったことは確かだし、もやもやしたことも確か。


でも、今後の課題が見えたから、勉強になった。

課題は、私たちの経験値に因るところが大きいと思う。

伝える方法論は、大事だなあ。

それから、楽しむことも。

皆の魅力が表れるやり方は、今後の模索ポイントだと思う。

大切なことは、等身大であること…。


皆の気になること、考えてること、常に変化していくものだと思うから、

いつでも風通し良く、それを話し合える間柄でいたい。


この前、電話でBBメンバーのTしゃと話したけど、

言語化できないもやもやとした「感じ」を伝えるという点では、

ピエロ(グレイトス)もBBも、同じなのかも。

ただ、その方向性というか、性質がちょっと違うのかな。。

でも、まだわからない。

どうなんだろう。




私個人は、自分の中にある矛盾が、大きくなったというのが、もやもやの原因だと思う。


よおく掘り下げて、考えてみたいと思っている。


私は非常に感情的な人間なので、その感情を抑えようとする理性が働くと、その理性も非常に強くなる傾向にある(と思っている)。

そうこうするうちに自分の根っこにある感性が迷子になり、良くわからなくなりそうになる。


でも、それをシンプルに掘り下げて、ことばにする努力をしたい…ぞ。


楽しく、素敵だと思うことばかり、考えてポジティブに生きたい自分と、

決してそうではない、自分の中、そして社会に存在するさまざまな問題、悲しみ、苦悩…そういうものについてどうすべきか考える自分。気がつくと考えている自分。考えてしまう自分。


その両方が自分の中に存在しているから、何がいいのか本当にもやもやする。


あらゆる物事はいつも二つの極の狭間にあり、どちらが「よい」という決断は紙一重だということは、何となくわかっている。


でもやっぱり日々考えるけれど物事の善し悪しは本当に難しい。


自分の生きる指針はまだ思考錯誤の渦の中にある。

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就活始めて思うこと

最近、就活をしていて、いろいろ思うことがある。


所謂、就活サイトってやつに登録して、色んな企業にエントリーしているわけだが、

もう既に、エントリーを締め切っている企業も結構ある。


私は院生だけど、

学部だったら、まだ4年生になっていないこの時期。


色んな学び、活動、興味、そういうものが、夢が、自分の中でどんどこ膨らんで、一番楽しくなってくる時期では、ないのか…??

なんで、そんな焦らすん??て思ってしまいます。

せっかく大学まで入ったのに、色んな学びのできる最良のときであるのに、早くから職を得ることばっかって、何のための大学なんだろう。就職予備校化とか、最近は言われることも多いけれど。


日本語教師をしている、同じ研究科の院生のお友達(※年齢的には非常に先輩ですが、ご本人がタメ口で喋ってほしい、と言っているし、とってもフレンドリーな方なので、サシで飲みながら人生相談にのっていただいたりと、仲良くさせてもらっている)が言ってた。彼女の勤務する日本語学校では、結構日本の大学に留学したいという韓国の人なんかが、多いそうだ。


TVでニュースなんかにもなってるように、韓国は壮絶なる学歴社会。悲しいことに、受験に失敗して、自殺するという人も、多いらしい…。


そういうこともあって、日本に来たいという人も、結構いるそうだ。



私は、家が変わってるので、小さいころから、海外に旅立つことがよくあった。


ロクにものを考えられるような年齢じゃないときに体験した、短いながらの異文化も、今考えればいろいろと印象に残っていることはある。


しかしながら、どこにでも共通して言えるのは、日本より「ゆるい」ということ。


何が「ゆるい」って、それは、細かいことから、何となくのその土地や人びとの雰囲気までいろいろだが、私の感じるところでは、日本以上に全てがきっちりとしたところは、見たことがない。たとえ先進国と呼ばれるところでも、それは同じ。なんとなく、ゆるい。せかせかしてない。


約束の時間には、5分くらい遅れるのが当たり前みたいな雰囲気だったタイ。入国管理官が、自分の子どもを隣に座らせて子守りしながら仕事してたラオス。お店で日本語表記のもの売ってるけど、誰が訳したのか何かがおかしいタイ・ラオス。タクシーの運転手のおっちゃんが、何度も何度もかかってくる携帯で奥さんと話しながらめっちゃ飛ばして山道走るモロッコ。そして真昼間にカフェでゆるりしてるのは男性ばっかのモロッコ(イスラム国だからあんまり女性は目立って町にいないみたい)。


コンビニにはいつでも整然と売り物が並べられていて、林立したビルの中はぴかぴか。トイレの水は自分で流してもないのに勝手に流れ、電車の2、3分の遅れに対して謝罪の放送が何度も流れる国なんて、他にはないんじゃないのかなあ。。


きっちりしているのが、全て悪いわけではない。

でも、何だか人びとが経済的な効率性のために、色んなところで焦っているように見えるのは、私だけ??



そうそう、それから、今日、共同通信社の説明会に行ってきた。

2003年のイラク戦争の取材をした記者が、現場の話を語っていた。

当時、アメリカ人の宣教師の友人が、イラクで反戦集会を企画したそうだ。でも、イラクの人はあまり集まらなかったという。その宣教師が、あるイラク人にどうしてだと思うか、理由を聞いたところ、


「希望が持てる戦争と、希望が持てない平和だったら、どっちを選ぶと思うか。」


との趣旨のことを述べたらしい。


そういう考えも、やはりあったのだ。イラクという国にいる、その現地の人の答えだ。

その後、この話をしてくれた記者は、当時はフセイン政権によって強権的な政治が行われていたこと、またあくまでこれは質問に答えたそのイラク人個人の意見であるから、イラク人を代表する意見ではないとのことを補足していた。


あまりにもBlue Birds的なテーマだったのでどかんときた。


「希望が持てない平和」とは、それほどひどく抑圧的な政治体制だったのだろうということが伺える。

戦争にすら希望を抱くって、どういうことなのだろう。


外の人が思うことと、内側の人が思うことは、やっぱりギャップがあるのだ。


それにしても、平和って、ほんとに、よくわからないし、難しい。


日本は、ある面で平和で、ある面で平和じゃないのかもしれないなあ。





考えながら、悩みながら、就活していくけれど、


やっぱり私は、いずれはNGOとかで、働きたい。

NGOじゃなくてもいいかもしれないけれど、できれば現場で直接人と触れ合って、かつ自分のしてることが社会にとってあんまり悪影響がなく、人と競合しないようなこと。


自分がやってて楽しくて、社会のハッピーでナチュラルな部分の創造に携わって、それを広めていけるようなこと。

でかいことをやる力はないけれど、ちょっとでもいいから、人や世界をハッピーにすることに、携わりたいなあ。



大ざっぱであっても、自分が美しいと思うもの、楽しいと感じること、それを今わかっているから、あたしは幸いだと思う。

そのぼんやりとした、感覚的な「聖域」が、あたしの希望であり、生きる糧であるからだ。