Un poisson rouge -167ページ目

こころのツブ焼き(ホット)

※ タイトルは思いつきです。笑



「おどおどしてるね」


って、よく言われる。笑


なんででしょう。ま、確かにそうかもしれんねんけども…笑


なんかねえ、「げ、あたしまたなんかしちゃったかな」とか

「あーなんか悪いことしたかしら…」とか

あんまりこう深く知らない人とかだと特に、変に気にするクセがある。

それが出てるんだろうか…汗。

あーまたあたしがずれてるから何かやっちゃったんだきっと、とか思って、勝手にびくびくするのだ。

もともと自信がちょっと足りないからそれが出ちゃうんだろうなあ…。まあ、そんな奴でも調子こいてるときはこいてるんだけども…。

気をつけなきゃな~。


フラットな人間関係が好き、です宇宙人



さっきもついったーでつぶやいちゃったけどUAのLIVE版2枚組『空の小屋』とEGO-WRAPPIN'のアルバム借りました♪

LIVE版だって知らないで借りたけど、シングル曲がいい感じにアレンジされてるー素敵ードキドキ

EGO-WRAPPIN'もいいーなてんとうむし時間あるとき他のも借りよかなっ。

図書館てただでCD借りれるからいいねいいねカエルこんなに最高なことなかなかないねっ。
皆さまも、時間があってお金がないときは、地元図書館をオススメします。意外とCDとか、掘りだせる掘りだせるっ。

ぎすぎすガサガサした心を潤すのは音楽でやんす…音楽のひとときでやんす虹虹虹

何か、色々論文読んで考えていたのだが、修論のテーマが少し見えてきた気がして嬉し…
サーチまだまだこれからですけども!

明日は面接~

子育てのこと

3月27日(土)の夕刊に出ていた記事。

ほめる育児が適応力高める
http://mainichi.jp/life/edu/news/20100327k0000e040072000c.html

大阪と三重で、生後4カ月の赤ちゃんが3歳半になるまで追跡調査をした結果だそうだ。親には子とのかかわり方などをアンケートと行動観察で調べ、子には、親に自分から働きかける「主体性」、親にほほえみ返す「共感性」などの項目別に評価を行ったそうだ。

親によくほめられた乳幼児の方が、ほめられない乳幼児に比べて社会適応力が高い状態を保てたらしい。
また、ほめる以外にも、目をしっかり見つめるとか、一緒に歌ったり、リズムに合わせて体を揺らす、たたかない、生活習慣を整える、一緒に本を読んだり出かけるなどが適応力を高めるんだって。


なんとなく、ほめるのがいいとは思ってたけれど、ほめすぎるってのはどうなんだろなとも思っていた。そうだなー、ちゃんとコミュニケーションをとって、たたいたりしないで、赤ちゃんがニコってしたらニコって返す、とかそういうことが大切なんだろうなあ、やっぱり。


かえるの子はかえる。

私から見てどう考えても自己主張の強い強すぎる父親に恐怖あるいははらわた煮えくり返りそうに何度もなりながら生きてきた人生の中で父に似るまい似るまいと思ってきたのに親子とは不思議なものだしある意味因縁でもあるワケで母にも言われるように私は父親のその性格を継承しているところがありそんな自分が嫌だけれど普段はそんなに似ているとも思わないけれどやっぱりどこか似ていることを認めざるを得ないイライラした時など特にああ悲しいな人生は。(息継ぎなし!)

平和とかゆってるけれど難しいね本当に本当に。自分の中にあるまた人間が持つ暴力性に気付いたときにこそ本当にそれを思う。そして他者とは絶妙な距離が必要ね実際。冷たい意味じゃなくてね。それくらいがちょうどいいんじゃないかな。

強く生きよう、強く。結局、ひとりひとりが心を強く、ものごとに執着せず、好きなことをして、恨まずねたまず生きていくことが大切なんじゃないかと思う。簡単ではないけれど難しく考えすぎることもない。最近は感情というのは一時のものだと思うようになるべくしている。実際ずっと怒ってもいられなければずっと悲しい気持ちでいることも、両方ともすごくエネルギーがいることであって、無理してそれを頑張ることは大変だ。だからやっぱりずっと明るく楽しくってのもないけれどずっとイライラかりかりどよ~んしゅんてのもないのだよなあと思う。朗らかに生きたいものだなあ。
やっぱりときどきは自然を眺めることって大切だと思うなあ。自然が教えてくれることは驚くほどたくさんある、と私は思う。だってね、イライラしたってしょうがないよって気持ちになるよ。実際しょうがないよ。体だって言ってみれば自然なんだもんね。体から気分が変わるってことは多いにあるよね。今『心もからだも「冷え」が万病のもと』という本を読みかかっている。こころとからだはつながってると思うなあ。私も体をあっためよう。

そうそう、マザーテレサは、戦争反対を叫ぶ集会には参加しないけれど、平和をつくる集会に参加するということばを残したそうだ。なるほどね。

暴食気味で危ないわ、危険だわ。気をつけよう。

またもや本。もうもはや記事のタイトルとは関係ない…

アマゾンで中古で購入。
今読んでいる本、V.E・フランクル著、山田邦男・松田美佳(翻訳)『それでも人生にイエスと言う』春秋社、1995.

$ORIEIRO

『夜と霧』を書いた著者。ナチスドイツ下で、強制収容所に捕えられたその経験から生きる意味とは何かを書いている。静かだけれど力がある本。極限を生きた人の語ることばは重く、そして強い。
人間は皆不完全だからこそ、誰も他の人に代わることができない。代替不可能だと著者は語る。それを細胞にたとえている。原始的な細胞、単細胞生物は全ての機能を持っていたけれど、進化の過程で細胞が分化して、たとえば目の細胞が他の機能、「食べる」とかそういうことができなくなったけれど、各細胞はそれぞれの機能を発達させた。ひとつの細胞は他の細胞を代替することはできない、それは人間も同じである、と。

著者のことばは重い。体験していることが重いからこそ重みがある。
人生は限りがあるから意味があると著者はいう。

「私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。」V.E・フランクル