昨日、加害者の選手が公式の場で謝罪会見をしました。

SNSやメディアの報道では同情する声と立派だったとの声が圧倒的でしたね。

私は同情はしないけど、20歳とは言え、学生の身分でありながら、きちんと自分の声で伝えたのは立派だと思いました。

ただね、弁護士が同席ということに、全てが自分の言葉とは思えないし、違和感があるんだよね。

親も先生も一緒には出られないか・・・

 

小学、中学、高校、大学で活動する、所謂部活動ってやつですが、今、本質を忘れてしまっています。

全ての学校がそうだとは言いません。

けど、一部というか、多くの学校では、教育よりもプロスポーツのように、勝つことを一番の目標として活動しているのは事実と思います。

もちろん、負けるより勝つ方が選手も楽しいので、勝つためにやるのですが、その監督、指導者は、それだけじゃいけない。

常に教育の一環として選手と接することを忘れてはいけないと思うんです。

 

例えば、高校野球なんて典型ですよね。

高校野球は各都道府県の代表が日本一を目指すのですが、今や都道府県というのは、学校の所在地だけであって、強豪校と言われる地方の学校の選手は、ほとんどが他県の人です。

15歳の子供を勝つためだけにスカウトして、全く関係のない土地に住まわせて野球をやらせる。

そして、全く関係のない県の代表として県民から応援される。

つまり、選手なんてどうでもいいんですよ。

駒と一緒。

ダメなら使わない。

そこには教育の一環という本来の目的なんてどこにもない。

 

今回のアメフトも同じですよね。

大学なんで、多少、小学、中学、高校とは違う側面はあるとは思いますが、プロと比べて選手の在籍期間が短いこともあり、勝つために育成・教育するよりも、今いる選手で勝つための戦術を考えるに重きが置かれているのかなと想像できます。

それが、自分の選手の能力を上げるよりも、相手の主力選手がいなければ勝ちやすいになってしまっている。

もはや本末転倒どころか、スポーツというのを知らないんでしょう。

やったもん勝ちだもんね。

スポーツに限らず、いつからこんなやったもん勝ちの世の中になってしまったのか。。。

 

自分はずっと野球をやってましたが、監督、コーチからはよく言われてたことがあります。

ルールは守らないといけないから、ルールをしっかり覚えないといけない。

そのうえで、勝つためにどうするか、何をするか、みんなが理解しないといけない。

それより大事なのは、ルールにないから何をやってもいいというわけではない。

相手も自分もだけど、危ないと思ったら避けないといけない。

怪我をするような危険なプレーは絶対にしてはいけない。

怪我して野球できなくなったら、お前らも嫌だろう。

自分がやられて嫌な事は相手にもするな。

それでアウトになったり、負けたりしても、それは仕方がないこと。

そうでないと、スポーツではなくなる。

喧嘩するために野球をやってるんじゃないから。

 

私は批判覚悟で言うけど、日大の監督だって、そんな気持ちがあったはず。

今でもあると思ってる。

選手を勝たせてあげたい。

勝てばみんなが楽しいし喜ぶ。

ただ、その気持ちが選手のためではなく、自分自身や学校のための比重が多くなった、いや、ほとんどがそうなってしまったのかもしれない。

国際化が進み、世界で勝負するには、そんな甘いこと言ってては戦えないという意味があるかもしれない。

見えないところでどんだけ汚いプレーするのかが技術と言われるスポーツもある。

 

日大のアメフトだけの問題じゃないけどね。

きちんとした指導者もたくさんいるけど、実際、相手を潰せって言ってる指導者がいるのも事実だし、今に始まったことじゃないけどね。

たまたま今回問題になってるけどさ。

 

でもね、方や傷害で被害届、方や会見という名で指導者批判と謝罪、方や学校の権力に守られ真実を語らない。

スポーツってこんなんだっけ?

自分の常識では、公の場での指導者批判も醜いとしか映らない。

きちんと当事者同士が話し合って解決すべき問題なはず。

それができないからという意見もわかるけど、でもねって思う。

公に批判するって美学なのか?

 

一番悪いのは日大幹部なのは言うまでもないけど。

監督よりも何よりも、スポーツのスの字も知らない人が、売名だけでスポーツを利用するからこうなる。

弁護士も一緒だよ。

 

教育の場でのスポーツの在り方を、スポーツ省と文科省では真面目に考えて欲しいですね。

 

まあ、日本の国会議員や首相も同じように、知らぬ存ぜぬがまかり通る国だからね。

何とも言えないけどさ・・・