大師匠たちからの筋金。アルプスヨセミテの大岩壁からの系譜
まだ日本の登山界が…、
誰がアルプス三大北壁を登るか…という時代に、
グランドジョラス北壁とマッターホルン北壁を登攀し、日本のクライミングレベルを押し上げ、国内では、昭和35年に紫岳会が初登した国内最大の岩壁の奥鐘山西壁のルンゼではなく正面壁を、誰が最初に登るかと言われていた時代に、初登したMさん(後列右から二番目)。
Mさんの弟子で、山下の師匠の師匠(大師匠)であり、アンデス三大南壁の初登、そして日本の登山界が、ヨセミテって何?という時代に、ヨセミテの大岩壁のハーフドーム北西壁とエルキャピタンを日本人で初めて登攀し、
ヨセミテ大岩壁の文化を日本に持ち帰ったHさん(後列左から二番目)。
人生の中でいちばん影響を受けた大師匠と大師匠の師匠と、山下が中学高校生の頃からの先輩たち。
ワンドイ南壁初登
ヨセミテ(ハーフドーム北西壁、エルキャピタン日本人初登。
ハーフドームの難ルート「ティサック」。世界でもまだ数登しかされていない時期に2ビバークはスゴすぎ。
14歳のころこの人たちと出会って、人生が変わってしまった…
そんな人たちが、遊びに来て下さいました。
元々は、小学校の卒業文集に、「単独で太平洋を渡りたい!」と書いた少年だったけれど、
どうしてもヨットと縁がなく、その代わりに、偶然、大師匠の弟子のYさんと出会い、
「ヨットもクライミングも、大自然の中で命をさらすのは同じかもしれん…」
と、先にクライマーになったんだけど、
普通の登山のベテランとはちがい、絶対ムリ、死ぬ…という線の先に照準を合わせた
クライマーの生き方は、言い訳やきれいごとの効かない世界で、自分の弱さを正直に映し出す勇気…、初心者や素人には強そうに見せるベテランたちとはまったく違った、
ほんとうにヤバくなってから実力が発揮でき、人には優しい大師匠たちの背中をみていると、
この人たちが見て来た世界って、どんなのか見てみたい…と、思わずにはいられなかった。
あれから、46年!
月日が流れた。
肉を焼きながら、46年の時間がよみがえってくるような時間…
いろんなことを語り合いました。
13歳から岩登りをはじめて、とてもラッキーだと思うことが一つだけある。
それは、こんな、侍のような人たちの背中を見て育つことができたこと。
命がかかることをわざわざたくさんする人は、
自分の弱さを見つめる勇気をもち、
誰も見てないところで人に優しかったりする。
この人たちが引退したあとは、
スポーツとレジャーが主流のクライミングになり、
まったく人種の違う世界になっていった。
初心者や素人に、いかにも強くて凄そうにふるまい、ほんとに命がかかってきたら、
いつのまにかいなくなる…。
もし、もう少し遅く岩登りの世界に入っていたら、
そんな、ニセモノのようなベテランを、スゴイと思っていたかもしれないと思うと怖くなる。
ほんとに、師匠たちの時代から、この世界を観ることができて良かった。
平成2年の写真。
上から2列目左から2番目が大師匠。
右上角が大師匠の師匠。
下左端がY氏、その隣がT女史。
この写真からも、数十年。
「ヨセミテ流で、太平洋を渡れ!」
太平洋を渡る直前、寄せ書きに大師匠が書いてくださった言葉。
日本人で初めて、ヨセミテの大岩壁を登った大師匠からの血筋と筋金を、
たくしてもらった気がした。
だから、海に出て、山の神さまに、恥をかかすことはできない。
山の神様に磨いてもらった心で、海を渡る…。
海の神様に、なんだ山ってたいしたことないのか?と思われないよう、
技術はないけれど、「どんな気持ちで海に出るか…」という心を大切に、
海に出ることができました。
大岩壁と大海原…共に大自然の中で命をさらす場所。
ヨセミテ流で、太平洋を渡ってきましたよ!
大師匠、そのまた師匠からの血統、筋金を胸に、
腕や技術は無いなりにだけれど、
渡ってきましたよ!
↑1980年頃 三倉岳にて 大師匠、大師匠の師匠、山下(17歳)
離婚したことは怒られたけど…ほんとうに、嬉しい一日だった。
また、時々、こうして集まれたらとても嬉しい。
再会、すべてに感謝!