タイムスリップな休日?
きょうは、完全オフの日。
森の小屋で朝のまどろみを堪能していると、facebookから昔の写真が次々と出てきて、心は昔の山や海にタイムスリップの旅に出てしまいます。
(気がついたら長文になってしまいました)
そんなfacebookをめくっていると、息子の塾の先生の投稿が目にとまりました。
最近急に亡くなられた塾の先生の先生(恩師)への想い。
先生の先生は、打撃の天才と唄われた、殴蹴投絞極、頭突、急所攻撃ありの大道塾全日本の優勝者。
その先生が広島を離れたあと、
息子の先生は、その先生が開いた岩国道場を再建、山下親子がお世話になったりだけど、その後、息子の先生はメキメキと腕を上げ、大道塾全日本軽量級で6度?の優勝を果たすまでになるが、先生の先生に会えずのまま、若くして先生の先生は亡くなった。
「オレはケンカに負けたことはねえ!」といきまいていたという高校生の頃の息子の先生、
お前はチャンピオンになれるかもしれんぞと、可愛がってくれたまま、
何度も優勝して善き指導者になったいまの先生の姿を見ぬまま先立たれたという。
何度も優勝する姿を見せ、報告したかっただろうな…。
その投稿を読み、
僕も、同じような師がいたことを思い出せずにはいられなかった。
高校の頃、一般的な団体登山ではなく少数精鋭のアルパインスタイルで世界の大きな壁を登るチームを立ち上げた兄貴分。
「ケンイチ、俺の言った通りトレーニングして年間これだけのロングルート(岩)を登れ!そしたら俺が特例で〇〇大学に山岳の特待で入れてやる!」
高校の放課後は体育館のジムで筋トレとランニングで毎日帰宅は9時過ぎ。
年間学校を60日以上休んで国内300㍍を超える岩場や韓国の岩壁を登りまくる日々。
正月はコタツでミカンなんて食べた想い出はなく凍った岩壁でのビバーク。夏休みは自宅には数日しか居なくてあとは、韓国や穂高や黒部や九州の大崩の岩場を渡り歩いた。
専門誌に難しいルートが発表されたら、兄貴分と2人で行って、「ケンイチ、難しくなったらロープ出そうな!」とか言って、結局上までロープ無しで登ったとき、僕は実は地上80メートルの核心部でバランス崩しそうになり落ちるかと思ったのも懐かしい。
そんな兄貴分が、僕が高校三年の時にヨーロッパのグランドジョラス北壁で岩雪崩に遭って亡くなった。
その年に、親しかった周りの先輩3人が別々の岩場で亡くなった。
次はお前だろうと周りが心配する中、Patagonia創始者が作った韓国の代表ルートを17歳の時に。その翌年ヨセミテの大岩壁を、まだ日本人が誰もやっていない時にどうしてもソロで登りたかった。
岩壁の岩棚で2人でビバークしてたとき、「ケンイチ、天ぷらが食いたいの〜。こんど博多で天ぷら食いに行こうぜ!」
と、鋭い目でコワイ顔の兄貴分がニヤリと笑ったのが思い返される。
兄貴分に、
ハーフドーム北西壁、ソロでやりましたよ!と、報告がしたかった。
天国にいる息子の先生の先生、
そして俺の兄貴分、岩壁や海原で散った25人の先輩友人のご冥福を、心よりお祈りします。