この計画は、震災直後から持ち上がり、
災害に遭って大変な思いをされている人たちを
私たちができることは限りがあるけど、
励ましていこうということを掲げ始まったと聞きました。
こちらの地元の道の駅の駅長と、
現地の道の駅の駅長が
この計画のもとに繋がり、
親交を深め、話が進んでいったそうです。
私が参加させていただいたのが3年目のとき。
こちらの出発前日までの準備も
メンバーの皆さんの段取りが良く、地元の農家さんや
私たちの思いに共感くださる会からいただいたお米
(確か20トンだったと記憶にあります)や、
もち米、もちを作る際に使う蒸し器、杵、うす
こちらのじゃこ天、それを揚げるフライヤー
こちらの地元企業が提供してくださった
たくさんの食品や商品をトラック3台に振り分け積載。
出発日は11月の初旬の金曜日。
出発時刻は勤め人の方に合わせることもあり
夜の9時で、バスに約40人弱、トラック3台
運転は、建設業の方々が交代でしてくださり、
私はバスで最後列の席で窮屈ながらも
座っているだけのポジションで
運転している方には申し訳ないなと思っていました。
東北に入ったのが翌日の午後2時頃だったと思います。
小さな仮設商店街に停めてくださり、皆それぞれ買い物をし、
その日の宿となる現地の駅長さんの家へ...
駅長さんの家?
と、お思いになられた方もいるでしょう。
駅長さんの家は、建て継ぎしながらこうなったと言っていましたが、
私たち40名が立ち入れることができ、
寝ることもできる大きなお屋敷で、
私は隅から隅までは見渡してなかったので、
皆がどこで寝ていたとかはわかりませんでした。
先輩から聞いた駅長さんは、震災直後から、
自分のことや家族のことは二の次で、
なんとかこの災害にあった方々の為、
東北の為にできることはないかと
尽力されてきた方と聞いておりました。
その日の晩に駅長さんから、
震災当日のテレビで流されなかったような映像を見せていただき、
涙を流されながら地元や東北への思いを
聞かされた時には胸に詰まるものがありました。
「わたくし一人のチカラでは何ともなりませんが、
皆様のご協力に感謝し明日、よろしくお願いします」
と激励の言葉を頂き、
私も身が引き締まるものがこみ上げてきたのを今でも思い出します。
翌朝を迎え、皆を乗せたバスとトラックで、ある仮設住宅へ到着。
私は宮城のFさんに今回の話を、前もってしていたところ、
「自分も参加させてもらっていいか聞いてもらえるかな?」
と言っていたので、先輩にこのことを話し、
「是非とも」
との返事をいただき
Fさんの参加となりました。
彼の現地の方々への挨拶で
「私も皆さんと一緒で家が流されました。
いろいろな物を失いました。
皆さんの日々思うことはよくわかるつもりです。
今日は、この方たちと一緒に
お手伝いさせていただきます」
と言った時には涙でした。
その後、係決めなどしていなかったのですが、
みんな適所に散らばり作業の開始となり、
・運んできた米の精米に行き、各家庭へ配れるように仕分け。
・もちつきの蒸し器、餅つき、てこ、もちを丸める。
・じゃこ天を揚げる。
・それらを並んでいる人に配る
(こちらの気持ちなので、全て無料での振る舞いです)
私とFさんは、もちを丸めたりパックしたり
配ったりするところでの作業となり、
それを見ていた現地のおばちゃま達が駆け寄ってきて
「私も参加させて」と4人が協力してくれることとなり、
「私もいろいろあってね…」
などと言いながらも終始笑顔で接してくださって、
私は何とも言えない気持ちになりましたが、
「ここへ来られて良かった」と思えました。
それはそれは大盛況で、
次から次へと人が人を呼びお客さんが集まり、
小さな子供たちも
「ありがとう」
と言って笑顔で帰って行く姿が
今でもしっかりと脳裏に焼き付いています。
③へ続く
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