2013四国連鎖社会主義講演会 | 専従日誌

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2013四国連鎖社会主義講演会が9月10日、徳島市文化センターで開催された。河村洋二実行委員長は主催者代表挨拶で「資本主義が発展するほど貧困・失業・倒産は増大する。今、世界中には2億人の失業者がいる」、「資本主義から社会主義へと流れを変えるには時間がかかるが、そのためにも労働組合の強化が必要だ」と述べた。

講演会では、元チッソ労働者の石田博文氏より「水俣病と労働組合、社会主義」というテーマで、チッソ労働組合の闘いの歴史や「恥宣言」を出すに至った経過、団結や仲間づくりなどについて講演が行われた。

1960年代は会社の組合攻撃が激しく、第二組合(御用組合)を結成されたり、昇給や配転などの差別を受け徹底的に冷遇された。水俣病は会社が水俣湾に排水放出した有機水銀化合物のアセトアルデヒドが原因だが、それが究明されるまで奇病と呼ばれていた。当時、地域の人達は毎日魚を食べておりその被害は甚大で患者総数は6万人を超えている。水俣病の原因が明るみになり漁民が工場に乱入したり、患者が工場前で座り込みを行うなど工場の操業停止を求める運動が激化した。それに対して労働組合は当初、被害者面をしていたという。逆に労働組合は、「工場を守る」従業員大会や「操業停止反対決議」などを行った。また、座り込みをしていた患者たちに労働組合がテントを貸していたが、「汚れるから」と貸出を止めるなど自分たちの既得権に固執していた。

1962年春闘で賃上げ要求に対し会社は「安定賃金4年間の賃金協定」の回答だったためストライキに突入。その後、会社はロックアウトを仕掛けてきたため無期限ストに切り替えた。しかし、第二組合が作られ組合は分裂した。1962年から1967年の6年間は組合潰しの攻撃が凄まじく、「アリ地獄」だったと石田さんは説明した。第一組合の組合員に対しては退職勧誘も執拗に行われ、石田さんも600分に及ぶ説得を受けた。応じない場合は退職だと言われ、その原因はストライキ中に第二組合の組合員に工場の入り口で1時間超オルグしたことが就業規則違反になるとの事だった。これで石田さんは怒り心頭となり、組合運動に専念することを決意した。

1968年8月30日、新日窒労組定期大会で「恥宣言」が決議された。何もしてこなかったことを恥とし水俣病と闘うことを労働組合が宣言したのである。

最後に石田さんは「6年間の差別体験から水俣病の患者に対し目を向けることが出来た」、「闘いに勝つためには地道な学習と仲間づくりが大事」とまとめた。

講演を聞いていて、東京電力福島第一原子力発電所事故を連想した。労働組合は企業の社会的責任を追及すべきなのに会社と一体となって脱原発に反対し、原発再稼働を求めている。このままではフクシマの事故は風化し再び全国の原発が再稼働を始めるだろう。東電労組幹部はチッソ労組の「恥宣言」を知っているのか?と佐高信氏も投げかけている。人間性まで破壊してしまう資本主義と対峙し、人らしく生きていける社会を構築する役割が労働組合にはあると感じた講演会だった。

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