【都の人】


京都市そのものの人口は決して多くはなく、ほぼ観光客であったり、仕事の出張、移住してきた人たちで占められているとか。

生粋の京都人からしたら殆どの人は「よそ者」


京都の中心部はどこもすごい人、人、人。有数の観光地とは言え、他とは比べられないほどの限られた範囲で渋滞が酷く住民たちの苦労が垣間見える。

昔から比べても観光客の数は激増しているように思えた。


🍂🍁🍂🍁🍂🍁🍂🍁


三日目の夜は、3年前に京都に引越した友人Sと待ち合わせ。Sは私たちが帰国して最初の年に知り合った飲み友の一人で、出張で京都に来た夫にHを紹介したのも彼だった。

社交的で気の良い人だがトラブルメーカーでもあり、親友や知人も今は連絡を断っていると言う。私も何度かガッカリさせられた記憶が蘇る。


Sの指定した場所は繁華街から外れていた。なぜそんな所で、しかもメキシコ料理なのか不思議に思ったが、私たち二人だけではまず行かないロケーションだったし、特に期待も当てもせずにレストランへと向かった。


歩くのに時間がかかり私たちを玄関口で迎えてくれた、SとAIさん。🙏遅くなってごめんなさい!!まさかこれだとは気づかなくて。

暗がりの通りにいきなり現れたガラス張りと木材で構成された美しい巨大な建物、ここは一体何だろうねって。


「ですよね、でもよく分かりましたね!彼がリンクだけ送ったと聞いて、駅で待ち合わせずに地図だけでたどり着けるか心配してたんです。」

彼女の発案でここに決まったらしいのが分かった。


AIさんに会うのは初めてだが地元が同じ。彼女は物静かでキチンとした大人の女性のようだった。バーに通うタイプには見えなかったから出会いの経緯を聞いて納得した。

優しい彼女と結婚してからSが落ち着いているのも理解できたし、生活を整えて体重も減らし見た目もスッキリして健康そうに見えた。


表には一切名前も看板も出ていないホテルの中のレストラン、モダンアートのような落ち着いた照明の広い空間のある素敵な所だった。

中央の大きな正方形のテーブルに案内され、ラグジュアリーな雰囲気のレストランだから誕生日ディナーのやり直しをしようと冷やかし合った。


再会の興奮も冷めやらず、私たちはずいぶん長い間おしゃべりをしていたが、最初にメニューと水が置かれたきり催促はおろか誰も注文を取りにこなかった。

そろそろ頼もうかと、夫はいつもの調子で「すみませーん」と給仕を呼ぼうとして私たち3人に強く止められた。

最初は怪訝な顔をしてどうしてダメなのと問いただそうとした彼に「空気を掴まなければダメよ」と私に嗜められたことに少なからずショックを受けたようだった。


Sが制して私の言わんとするニュアンスを汲んで、フランスでの話を始めた。


「そう、例えばパリで給仕を呼ぶのはマナー違反。メニューを見終わったら机に伏せればそれが合図で向こうから注文をとりに来る。目があったら視線でそれとなく合図する、例えばね。

それでも相手に無視されたり悪い態度を取られるようならその給仕や店に嫌われてるんだ。逆にサービスが悪ければチップが不要なのにあえて1セントのコインを置いて去る、お決まりの意図、サインを示すって方法だよ。

京都もパリも同じで、ある程度の空気感というか無言のルールみたいなのがあるんだよ。それはわかる人には分かるし、そうでなければ田舎者か無粋のレッテルを貼られるだけさ。」



「私も言ったでしょう?京都の人が外部の人に冷たく見えるのはそう言うことよ。昼間、御所で私に丁寧に対応してくれた一方で、別の観光客が冷たくあしらわれたのを見て貴方怒ってたわよね?それはこちら客側の態度、礼儀作法にもよるのよ。

いつものあなたならそう言う感性、私以上に優れてるのに、、らしくないわね。どうしたの?」


それにここに限って言えば、日本だけど日本式じゃない。スタイルも料理もフュージョン、サービスも西洋風にミックスされている。


「いや、参ったな、、恥ずかしいよ。僕は君たちと一緒にいて気を抜き過ぎてどうやらうっかりしてたみたいだ。僕のセンサーが全く反応しなかったことに自分自身驚いたよ。ありがとう、君たちの話を聞いて改めて学びになったし、開眼した気分だ。」


改めてその夜のディナーを振り返ると質、味、サービスやタイミング共に素晴らしかったし、会計は任せて男同士積年の問題も一つ解決したらしかった。

当初は会うのも心配していたけれど、今夜の様子を見る限り、AIさんのおかげか彼も幸せそうで安心した。

高い教養もあり社交的で賢い人だからこそ、不信の行動は改めて彼のセンサーの方向性も精度も上げていってほしいと願う。奥さんが、きっとうまく調整してくれるに違いない。


二次会は小さくて騒がしいバーに移動し、地元での思い出、移住先での生活、4人みんなで楽しく語り合った。

熊本を離れた後でも、それぞれが別の地方で生活し、突然の出張や旅行にも関わらず再会の場を設けるほどの縁がまだ存在している。


私たちは彼らのタクシーを見送ると、今夜も鴨川の土手へと向かって歩きはじめた。