訴訟の目途も立ち、ようやく体調のトラブルも落ち着いたので、次の日曜には都内行くことも鑑み、初午が近いため浅草の被官稲荷さまに、鳥居を奉納することを思案するワタクシ。
厄災除けにはこちらへの鳥居奉納が一番なのだが、猛毒でしかなったコロナワクチンを複数回接種したために、急激に体調を崩されたご家族の件で相談されていた方にも、その加護のためにこちらへの鳥居奉納を打診しようとしていたところ、小夜子さん(仮名、伏見様のかなりエライお使いの稲荷さま)にものすごい勢いで睨まれることに。
初午が近いのと、2月4日から世界の流れが大きく変わり始めることで、ほぼ神仏ともいえる高位の稲荷様こそご多忙の極みなことから、最近は我が家に近寄りもしないためあまり気にしなかったのだが、この方の件はそういや小夜子さんが動こうとしていたよね、忘れてたけど。
なんとなくだが、被官稲荷様ですら委縮するほどのお怒りなので、やはりこう、若干でもないがしろにする方向では、色々とよろしくない・・・。
また、アミニズム系でも、最後は祖霊からの加護に繋がることでこの状況を迅速に祀り変えることが必須なため、やはり大きな稲荷様への祈願が重要なため、本来は祈願が必要でも、些末な問題からこれが気まずい場合には、のぼり旗奉納を経ての加護が必要になるとのこと。
初老としては、一気に都内にまで出て、神田明神の将門公や、浅草寺に詣でての加護を願うほうがスケジュール的に楽なので、被官様への加護を思い付いたのだが、そういうお気楽な方向転換は許されないらしい。
そのため日曜は、東伏見さまに詣でてから、燎に合うために足立区まで行くため、浅草寺とかはいけない方向で…。
読み返すたびに発見が有るので、やはりこちらの本は名著だと思う。
稲荷信仰への誤解が、神仏の加護を遠ざける遠因となっているからな。
敬い、大事にすることで、基本的な人生のトラブルをすべて乗り越えることが可能なら、まずは感謝の念を込めて手を合わせ続けないと。
気軽に方向転換とかすれば、確かに殺意を込めたまなざしを向けられるが、それだけ強く加護されているわけだし。うん。
追記
この本出るから、記事書かせたのね。