山菜山行の翌週の6月二週、こんどは某古道の道刈りに出かけた。会津の某所から新潟の某所まで、古来使われていた街道がある。その裏街道をガイドして欲しいという声があった。しかし、この三年というもの、歩いていない。道はすでに廃道と化し、果たして通れるのかと案じた私は、それなら偵察と道刈りをすべし、と思い立ったのである。

 ここで、その場所を明示できないのは、そこを誉めそやす記事を、ある時期書きまくったために、某沢屋さんとか、某つり人たちが、聖地巡礼のように訪ね始めたからである。だから数年前から、私はその場所のことを書かなくなった。書かなくなってもひとは絶えず、まあ、自業自得かと、ただただ悲しんでいるのだが、仕事とあっては悲しんでばかりもいられず、重い腰をあげた。

 匿名の場所を語るのが、こんなに面倒だとは思わなかったから簡単に書くが、A沢の奥までは、なんと道が啓いてあった。地元のゼンマイ採りだとは思うが、?の連発。でもそこから突然途絶え、藪を漕ぎつつBゼンマイ小屋の跡。ここからは崩壊地形のため、道は崩れて跡形もなく、C沢を遡行する。

 やがてブナ森の登り口を探しあて、赤テープを付けながらこれを登る。右手上方でルンゼを渉るが、雪渓あり。あっちとこっちにテープをつける。そこから消えぎえの踏み跡を登さて、ようやくD峠へ。

 峠からも難渋し、なんどか行きつ戻りつしたあげく、なんとか雪渓にたどりつく。ここからは雪渓が道なのである。

 そしてようやくEのゼンマイ小屋場。かの憧れの地である。少ない薪を集めて日を点せば、一日の苦労も消えようというもの。ここからはさらに二つ目のF峠があるのだが、そこはもっとひどい状況になっているはずで、再度出直そうと決意。世が明けてからもちびちびとやり、昼近くになって重い腰をあげ、整備した峠道をくだったのである、って、なんのことか分かるひとは少ないよね。これが分かるひとは、私の本を丹念に読んでいるひとに違いない。いやにしいな、なんて思わずに、まあ、見逃してくださいな。