ろうまん山房恒例の山菜山行が開かれた。場所はもちろん、只見の雪月花。つまり私の山荘ということだ。あちこち放浪の旅を重ねた結果、山菜山行は毎年只見でいいではないか、ということになった。

 しかし、OBとはいっても中心は五人だけ、いずれも親がそろそろなあ・・・という年頃で、やれ看病だ、やれ法事だなどと、なかなか思うに任せない。そもそも山菜山行の日程は、OB会の会長である坂内の田植えによって決まる。といって、毎年変動してばかりではたまらないので、六月の二週に決めているのである。

 結果、坂内は来たものの、今度は小松が法事でキャンセル。舘岡までも法事が入ったと駄々をこねる。

 集まったのは私と水野と坂内、それになんと、前夜だけでも参加せねば顔向けができないという舘岡が、奥様の茉莉さんをともなって、たかが夜だけ参加するために、長躯秋田から駆けつけてくれた。ただ呑むだけなのにね。

 ほかには現役数名と私のガイドのお客さん数名(群馬の今西ペアと怪しいニンニクの二名)、仙台Y・・・・山岳会の坂本ペア。これで15名ほどにはなったから、まずまずというところか。

 初日は小戸沢に入る。といっても遡行をしながら山菜を採る歳ではない。ただ二俣まで歩き、沢宴会をしながら山菜を調達し、雪月花に戻ってから再度宴会突入というだけの、まあ馬鹿馬鹿しい遊びである。

 ただその、決まりきったテーマに沿って粛々と進めるのがまた楽しく、まあ、いつものように夜が過ぎていくのでありました。

 昨年のこの日、突然水野が「そういえば、OB山行って、そろそろ20年近くなるんじゃないですかね」と言い放ち、そんなことなど考えもせず、ただ狼狽するばかりだったわれわれは、それじゃあ来年は20周年行事をやろうぜ、と相成った。いつも参加して蕎麦うちを疲労してくれる茨城ACCJの本図さんが不参加になり、誰がやるかと、まるで魔女狩りのようにもめたあげく、めでたく蕎麦うち初心者の水野に白羽の矢が立った。

 結果を語るほどでもない。みんなで慣れない蕎麦を打ち、慣れないなりに打ちあがった蕎麦を「うんうん、うめえじゃねえか」とほおばった。

 そのうち、そんなことには細かいAB型の坂内が、いろいろ調べた結果、ことしはOB会が始まって23年目、だから再来年は25周年を華々しくやろうぜ、ということになった。

 まあ、顰蹙ものの話も多々あったのだが、お家の事情まで話す義理はないから、ここまで。