某山岳誌の写真取材で笛吹川流域に出かけた。いつもながら頭を悩ませるのは天気のこと。モデルは仕事持ちだから週末になるのは避けられない。あいにく天気は下降気味。中止して、思ったほど天気が崩れず、「ああー、行けばよかった」と後悔するよりは、行って後悔するほうを選んだ。

 場所は東沢釜の沢西俣である。奥秩父の主稜線のミズシに突き上げる名渓として知られたこの渓に入るのは、なんと初めてのこと。一級の渓だというので、舐めてかかったのが失敗だった。

 一日目は予定通り西俣に入り、所定のテント場に着いたのが午後四時近く。いやいや、渓は生き物で、苦労させられた。メンバーの口から出るのは「これが一級の沢?」という疑問符ばかり。私の見立てでも、とても一級とは思えぬほどの難しさで、初心者同士には薦められない沢であった。登攀あり、高巻きありで、ザイルを使うこと数回。そもそもザイルを使った時点で一級の沢とはいえまいと思う。

 テント場についたころ雨が降り出し、翌日の昼まで降り続いた。当然、停滞で、うだうだと過ごしたのだが、これがとても好評で、まさに天与の雨。「夢のような停滞日」という賛辞をいただいたのだが、なに、昼から酒を呑んでいただけのことに過ぎなかったのである。

 三日目、快晴で明けた。これが5月26日のこと。最初は鼻唄だった。これじゃあ、いつ水が涸れても不思議じゃないね、などと贅沢を口走っていたのだが、それから渓は変貌し、滝また滝の連続となる。あげくの果ては雪渓が断続し、遡行図にない滝が頭上高く連なるのである。しかし、そんな滝など遡行図のどこにもない。

 まさか、違う沢に迷い込んだが、とも思うが、まさか迷うはずなどないのである。ようやくミズシに立ってひと安心。だが、ここからが遠かった。登山道は春の雪に埋もれ、難渋するばかり。甲武信岳に立ち、甲武信小屋にいた北爪君と再会してビールの差し入れを戴き、徳ちゃん新道を下って暗闇の不動小屋に着いたのが、なんと午後の七時半。もうばてばてで、その夜は帰京することも叶わず、あえなく塩山の温泉宿で沈没し、近くの飲み屋で宴会となった。もちろん、これはこれで楽しかったのではあるが。

 ともあれ、すべては水量のなせる業である。渓は生きている、というとこを痛感させられた、春の遡行だった。沢を舐めてはいかんぜよ! 夏目雅子の顔が一瞬、思い浮かんだ、なんてことはなかったが・・・・。