週末は月山に出かけた。清川行人小屋に泊まって周辺を釣ろうというのである。天気は日々刻々と変わり、神経を逆なでしたが、まあ、結果とすればまずまずだった。だが、この時期にスキーとスノボを持ち上げて滑ろうという計画が、いかに無謀だったかがよくわかった。滑る区間が圧倒的に短いのである。
結果、私たちは滑降30分、その他のすべてを滑降のための機材であるスキーとスノボを背負うことになった。その重量は、軽く20キロを超えるだろう。
それでもまあ、そこそこの写真を撮り、小屋に着いたのはすでに午後二時で、昼の素麺を食べるのももどかしく、夕方の釣りに出かけた。結果は釣果ゼロ。それはまあいいとして、そこで私がやってしまったのは雪渓の踏み抜きだった。私がいうと嫌味になるが、上手の手から水が漏れた。
川の岩から雪渓に飛び移ったとたん、絵に描いたように雪渓が陥没したのである。目の前には陥没後の雪渓の新しい断面がある。それを掴んでも、足元は流れにさらわれて這い上がることができない。
耐え切れなくなった私は雪渓から手を離し、真っ暗な雪渓の下を流されていった。
頭をちらと掠めたものがある。たしか雪渓は百mほど続き、その間はまったく不明だということだ。雪渓を潜り抜けて下流に出ることなど不可能で、このまま流されて、もし淵にでもつかまれば、いや、そこに滝つぼでもあれば、絶体絶命である。まして夕闇は刻々と迫っている。流れに20分も浸かっていれば、低体温証でお陀仏なのは明らかだ。
五メートルほど暗い雪渓に吸い込まれただろうか。足がどうにか岩に触れ、体勢を立て直すことができた。流れの上からは仲間の声が聞こえている。はは、まいったね。
どうにか雪渓から抜け出した私の左手には、飛び移る直前に摘んだモミジガサがあった。これがいまでも腹立たしい。
四月にも、条件は違うが、飯豊で死に掛けた。2度あることは3度ある。意外に冷静だったとは思うのだが、沢のシーズンはこれからだ。雪渓はどこにでもあるだろう。これがいい意味でのトラウマになればいいのだが・・・・と思うが、おそらくいまにも増して慎重になることだろう。
心残りはぶら下げていたデジカメ一眼を水没させてしまったことだ。ウエストポーチに入れたレンズ二本とともに全滅である。およそ40万円の損失だが、それよりもなによりも、雪渓崩壊以降、撮影ができなくなってしまったことだ。ならば予備のカメラも持つべきだろう、といわれそうだが、それほど機材は安くない。
そのあと私は仲間たちに、落ちたのが俺でよかったよ、と強がって見せた。あれが私でなかったら、事態を収拾するための果てしない苦労と苦悩が待っている。仲間を死なせないこと、死ぬならリーダーであるはずの私でなければいけない。それが私の山の鉄則である。
下山は山頂経由ではなく、同宿したパーティーの車の便乗を当てにして、岩根沢に下りた。いい径だった。どこの誰かはいまだにわからないが、この場を借りてお礼を申し上げたい。清川月山会の五名の方々である。
強がりを言えば、今回の件で、清川行人小屋への愛着が増した。こんどは単独でもいいから、何日かを過ごし、周辺の沢でテンカラを振ってみたい。暇は作ればいい。あとは天候だけだ。そんな場当たり的な日常が、私の望んだことである。この歳になって、世界が広がる愉悦がある。岳人2006、8月号に書いた「瀬畑雄三の源流哲学」の世界に、私も少しは近づけただろうか。