週の初めに原人村に行ってきた。ようやく山桜が終わったらしく、獏の里は静謐に満ちていた。なにやら三月にテレビの取材があったというが、残念ながら私はまだ見ていない。
マサイさんとボケさんの生き方と名前がが広く知られるのは、私にとってもうれしいことだが、そのことによって獏の地が俗界にまみれてしまわないかと危惧している。おそらく、杞憂に終わるだろうが、それほど訪れるたびに心洗われる場所だ。
マサイさんたちが獏に入植した当時の写真を何枚か借りてきた。そのなかにマサイさんとボケさんの結婚式の写真がある。原人村で行なわれた手作りの式だ。ほのぼのとした、祝いの祈りが聞こえてきそうな写真である。間に合えば「渓流」に載るだろうから、見て欲しいが、いつまでも、かの地が穏やかな風に包まれているようにと、私もまた祈った。
原稿をひとつ終えるたびに、肩の荷が少しずつ軽くなるようだが、まだ終わりは見えない。そんな日々を、パソコンに向かって過ごしているうちに、団地の一室のベランダに、鳩が巣を作って驚いた。山道具を入れてあった段ボール箱で、知らぬ間に巣作りを始めていたのである。以前、鳩を飼っていたことがあるから、鳩は嫌いではない。エサをやろうとも思ったが、ドバトは自分でエサを取って生きている鳥だから、鳩の尊厳を尊重してやめることにした。
雛が孵るまで二週間ほどだろうか、どうにか無事に生まれればいいが、カラスなどの天敵も多いから、先のことはわからない。しかし、それもこれも天命である。自然界の生物にた対しては、なにもしないことが大事だ。エサをやって、相手にそのエサを当てにさせてしまうことはまずいのである。
メスのほうには足環がついていた。つまり、迷いの伝書鳩だということである。捕まえて足環を見れば、飼い主の名前が判るが、 それは野暮というものだろう。鳩レース界からドロップアウトした鳩が、違う生き方を求めて巣を作ったのが私の事務所だとすれば、見守ってやるのもまた一興である。ただ困るのは、ベランダの巣の前にある山道具の保管庫から、道具を出せなくなってしまうことだ。驚かせたくはないが、荷物を出せないのも困る。なるべく保管庫を開ける回数を少なくして、共存の途を探るとしようか。