こんにちは、おれ。です。

本日も記事をご覧いただきまして、誠にありがとうございます。

 

 今回は、「勉強」という言葉における僕の考察記事を書いていこうと思います。

 

 

 あなたにとって勉強とは?

 

 あなたは、「勉強」という言葉を聞いて、どのようなイメージを持つでしょうか。

 

 僕は、「気が引き締まる」ようなイメージを持っていました。

「勉強」することで、自身の可能性を見出す、成長する。

そのような信念を持って、自身の気を引き締め、実際に勉強してきました。

 

 しかし、多くの人は、「勉強」という言葉を聞くと、「苦痛だ、嫌だ」という感情を想起することがわかりました。

 

 確かに僕たちは、小学校に入学してから、納得した理由も大して聞かされずに、毎日のように「勉強」をさせられてきました。

実際に僕も、そのような毎日の中で、勉強が「苦痛だ」と感じたことはありました。

 

 そこで、なぜこんなにも多くの人が「勉強」=「苦痛」と感じているのか、その理由について,「勉強」という言葉の観点から、考察してみることにしました。

 

 「勉強」という言葉について

 

 「勉強」とは、単語を分解すると、「勉める(力を尽くす、努力するの意)ことを強いる」となります。

 

 

 ここで、大きな疑問があります。

 

 なぜ、「強いる」なのでしょうか。

 

 「勉強する」の主体者である僕たちは、誰に「強いる」のでしょうか。

「強いる」ということは、「強いられている」誰かが必ず存在するはずです。

 

 ここで一度、「強いる」という言葉の意味について考えてみましょう。

 

 「強いる」という言葉は、「他人の意思を無視して、無理に押し付ける」という意味です。

 

一体、「勉強する」の主体者である僕たちが、誰に対してこのような事を行っているというのでしょうか。

 

 

 そう。自分です。

 

 要するに、「勉強」というのは、「自分の意思を無視して、無理に自分に対して勉めることを押し付ける」という意味になります。

 

 即ち、「勉強」という行為は、「自分に不本意な行為や負担を強制したり、無理強いしたりすること」が前提となっている言葉なのです。

 

 だから、多くの人は、「勉強は苦痛である」という認識を強く持っているのです。

 

 しかし、「勉強」という言葉の中身をこのように分析すると、それは当然であると言えます。

 

 「Study」はどうか

 

 では、日本語で「勉強する」という意味に訳される、「study」という英単語のニュアンスはどのようになっているのでしょうか。

 

 調べてみると、studyという言葉は、前向きで、自発的な「情熱」や「意欲」が核となる意味を持つ言葉のようです。

 

 よって、studyという英単語を、ニュアンスを含めて日本語に直すと、「探求する」、「研鑽する」というような言葉になります。

 

 このような高尚なニュアンスの言葉を、英語圏の人たちは小学生の頃から認識して使っているのです。

 

 

 少し記事が長くなりそうなので、ここで一度終わりにして、次回に続きを書いていこうと思います。

次回は、この続きを「言葉の違いによる、学習意欲の影響」という項目から書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。