今回は、野球の分野におけるスピードガンという具体例を交えて、現在僕たちの生活のあらゆるところに存在する、客観的価値・客観的指標についての捉え方と、「体感」の重要性について、僕の考えを述べていきたいと思います。

 

 

〈出ました160キロ!〉

 

 現在野球界では、スピードガンによる投手の球速計測、及び球速表示に注目が集まることが多いです。

 

 「〇〇選手が自己最速の160km/hを記録!」、「話題の高校生150km/h右腕!」など、メディアでも大きく取り上げられたりします。

野球場では一球ごとに球速表示がされたりして、野球ファンの歓声を集めたりします。

実際に野球の現場でも、スピードガンによる球速測定は積極的に取り入れられています。

 

 それ程、現在の野球界において、スピードガンによる球速表示は大きく浸透しているのです。

 

 

〈勝負中におけるスピードガンの必要性〉

 

 僕はこれまで長い間野球をやってきました。

そんな僕が、プレイヤーとして、このスピードガンという要素について語りたいと思います。

 

 確かに、スピードガンによる球速表示は、相手投手の事前情報にもなり、手掛かりを知るための一つの目安になります。

 

 しかし、投手対打者という野球の中心とも言える勝負の中において、このスピードガンによる球速表示というのは、全く必要のない要素なのです。

 

 なぜなら、打者目線で言えば(今回は主に打者目線で書いていきたいと思います)、打つのはスピードガンではなく、来た球だからです。

 

 打者というのは勝負中において、投手の球の速さをスピードガンという客観的数値をもとに認知している訳ではありません。

体感で認知しているのです。

 

 要するに、打者が投手の球の速さを認知するのは、スピードガンの数値による球速ではなくて、打席で実際に球を見た時の体感速度と呼ばれるものであるのです。

 

 スピードガンの数値が高くても、打席に入った時の体感速度が速くなければ、打者は手強いボールだとは思いません。

逆に、スピードガンの数値が低くても、体感速度が速ければ、それは打者にとって脅威のボールになるのです。

 

 

〈大事なのは体感!〉

 

 確かに先程述べたように、スピードガンは投手の能力の目安として認識できますし、野球ファンを盛り上げる事のできる要素を持っていると思います。

 

 しかし、本質的な球速というのは、体感に表れるのです。

 

 昨今ではスピードガンへの注目がかなり盛んになっていますが、本質を言うと、球速というのは、まず体感ありきなのです。

しかしそれについての見識が、まだ世間には充分浸透していないように見受けられます。

実はこれは、野球に限った話ではありません。

 

〈人を見るときも体感を大事に!〉

 

 今の社会全体として、物事を客観的指標化・価値化したり、或いはそれらによって分類したりして、物事を見ようとする傾向が強くなってきています。

 

 そしてそれは、人を見る場合においてもそうです。

 

 現代では、精神病と言われる外から見ても判別できない病気の名前が激増していたり、性格診断と呼ばれるものが台頭してきたりしていますが、それらはこのような傾向が顕著に表れている恰好の例と言えます。

 

 それ以前にも僕らは、学歴、年収、職、配偶者の有無などの客観的要素で人を見てしまう癖が付いています。

 

 もちろん僕は、それらの要素が全く必要無いと言っている訳ではありません。今の社会においては必要である場合も実際に多くありますし、その人の中身がそのような客観的要素に表れる場合もあるでしょう。

 

 しかしやはり、その人を知るための一番の大きな要素は、客観的要素ではなく、リアルであった時の体感なのです。

 

その人の今の状態の全ては、体感に表れるのです。

 

 

〈まとめ〉

 

 今の社会においては忘れられがちですが、体感というのはどのような場合においても、とても重要な要素になるのです。

 

 何度も言いますが、客観的要素が全く必要無い訳ではありません。

しかし、物事においてそれらに囚われ過ぎて、本質が見えていない人がたくさんいます。

 

 体感を大事にして生きていきましょう。

 

 

 今回の記事は以上です。今日もありがとうございました。