前回は、僕が高校生の頃、父を恨みながらも愛していたという葛藤に悩まされていたということを説明した所まで書きました。

今回はそれの続きを書いていこうと思います。

 

 

 僕が父を恨んでいた点は主に二つでした。

それは父の危機感のない生活態度が原因で家庭が崩壊したことと、父の言う事を聞いて自分の納得する打球が打てなくなったことでした。

 そしてどちらの事についても当時の僕から見て、父の反省している様子は無いように見えました。

その姿勢が当時の僕からすれば、余計に腹立たしかったのです。

 

 しかし僕は、前回話したように、父からの愛を充分に感じていました。

そして僕も父のことを愛しているのは分かっていたし、心の底の僕は、それでも父のことを愛し切りたいと思っていました。

 

 ではどうすれば、父のことを愛し切れる自分になれるのでしょうか。

 

 答えは一つしかありませんでした。 

それは、自分が強くなることです。

「強くなる」とはこの場合、他人依存の姿勢から抜け出し、自分の力で父を許せる自分になることです。

 

 

 「父の言う事を聞いて、自分の納得する打球が打てなくなったこと」で僕は父を恨んでいた訳ですが、それは僕が父に頼っている姿勢を持っているからこそ湧き出てくる恨みであると言えます。

 

 父は、父の100パーセントの力で僕に打撃を教えてくれています。仮に僕にとって、「父の言う事を聞いて打てなくなった」ことが事実であったとしても、そのように考えるのであれば、僕が打てなくなった責任は父ではなく、父の言う事を聞いた自分にあるのです。

 しかし、当時の僕はそれを心から認められる程の強さがなく、打てなくなった事を自分の中で父の責任にしていました。

だから僕は父を恨んでしまうし、不幸な自分を作ってしまうのです。

 

 よって、僕がこのような不幸思考から抜け出すには、父への依存をやめて、自分の力で野球を上手くなっていくしかないのです。

 

 

 「父の危機感の無い生活態度が原因で家庭が崩壊したこと」についてもそうです。

家庭が崩壊したことを、父のせいにしているからこそ、僕は父を恨んでしまうし、不幸な自分であってしまうのです。

 

 前の投稿でも何度か書いていたように、僕はこれまで、家庭がうまくいかなくなったのは、、父の責任であるとしていました。確かに現実問題、家庭に対して一番舵を取れたのは父ではありました。

 

 しかし、家庭が崩壊したことを父の責任にしているという自分の姿勢は、家庭に対して父を頼っているという僕の中の無意識の姿勢が起因していると言えるのです。

 

 よって同様に僕がこのような不幸思考から抜け出すには、家庭に対する父への依存をやめて、家庭の事を口実にしない自分を作っていくしかないのです。

 

 年齢的にも厳しく、無理がある解釈なのかもしれません。

しかし、こうしていくことでしか僕は心から父を愛していくことはできないし、僕が「幸せ」に生きることもできないのです。

 

 

 僕はそれから、野球において父から直接的な指導を受けることはやめました。

そして上達するために、より一層自主的に学んでいくようにしました。

 

 しかし、家庭の事で父に依存せず、父を愛していくというのはなかなか難しいことでした。

なぜなら、現実問題的に父に少なくとも頼らないと生活できない上に、父を心から愛していくには、なぜ僕たちの家庭はこのようになってしまったのかという事と、父という人間についての理解をもっと深めていく必要があったからです。

 

 僕は無意識的にこのことについて分かっていたのでしょうか。大学では、このような事への理解を踏まえた上で、自分が「幸せ」に生きるにはどうすればよいのかということを自ら学んでいきました。

 

 

 今回も長くなりそうなのでここで切り上げ、次回はこの続きから買いていこうと思います。

 

 今日もありがとうございます。