こんにちは、お久しぶりです。
今回は、ヤジの美学というテーマで記事を書いていきたいと思います。
僕の父は生粋の阪神ファンで、幼い頃から甲子園球場に足を運び、私設応援団に在籍していた20代を全盛に、グラウンドにいる選手に対して野次を飛ばしまくってきました。
現在は60代である父も、家で野球のテレビ中継を見ながら、「あの選手にはこんな野次を飛ばしたい」などと嬉しそうに話しています。
スポーツ観戦において選手に野次を浴びせるのは、世間では猛烈に批判されることです。
しかし、父の話を聞いていると、野次には野次の美学というものがあるようです。
その話がとても面白かったので、今回はその内容について話していきます。
〈一般的な野次〉
野球観戦における一般的な野次というのは、応援しているチームにおける成績不振の選手や、相手チームにおける選手に対しての罵声だと主に解釈されていることと思います。
要するに、自チームを熱く応援しているが故に込み上げる、主に悔しさや憎悪の感情を選手に向けてしまっているということです。
実際、野球観戦において、このような感情から野次を飛ばす人も大勢いるのではないでしょうか。
しかし僕の父は、確かにこのような動機から野次を放つ時もあるのでしょうが、野次を放つ際に一つ、必ず心掛けていることがあるようです。
彼はこれまでの間、野球観戦における野次において、そのことを突き詰めてきました。
それは、彼の「ヤジの美学」とも言うべきものでしょう。
では、父がこれまで突き詰めてきた、ヤジの美学というのは、一体何なのでしょうか。
〈ヤジの美学〉
それは、いかに周りの人を笑わせられるかという点です。
父はこれまでの間、ずっとこの事を突き詰めて野次をしてきたようです。
僕が小さい頃、父と野球観戦に行った際、父の声の大きさと、過激な野次にとても恥ずかしい思いをした覚えがありますが、確かに周りの人たちは笑っていました。
どうやら父は、野次を飛ばす際、間合いや場の雰囲氣なども意識しているようで、本当にその一点にこだわって野次を飛ばしてきたようです。
大笑いがとれた際には、とても満足して帰路につけるようで、ヤジで笑いを取るために生で野球観戦をしにいくんだと父は言っています。笑
〈鳥谷選手の話〉
ここで、元阪神タイガースの鳥谷敬選手のお話をしたいと思います。
彼はタイガースでの現役時代、甲子園球場のグランドで、ファンからたくさんの野次を受けてきたようですが、現在解説者としてスタンドから野球を観ていると、どうやら野次を飛ばす人には二通りの人がいることがわかったようです。
一つは本当に選手を罵倒して野次を飛ばす人、そしてもう一つは、周りを笑わせるために野次を飛ばす人。
そう。父は彼の言うところの、後者にあたる人だったのです。
〈まとめ〉
ここまで野次について書いてきましたが、僕は何も野次というものを全面肯定している訳ではありません。
しかし、父の周りを笑わせたいという動機は、とても尊重しています。
僕がこのような記事を書いたのは、一般的にはモラル等の観点から良くないと思われることであっても、そのような事をする人にも必ず動機があり、そしてそれは純粋な思いである場合もあるということを、みなさんにも知ってもらいたかったからです。
その具体例として、今回は父のヤジを取り上げました。
僕たちがそのような事をする人を見た際にまずすべき事は、彼らの行動に善悪を付けるのではなく、まず理解しようとすることではないでしょうか。
たくさんの人や物事を理解できるようになれば、自分が「幸せ」に生きれるチャンスが増えるのです。
今回の記事は以上です。
今日もありがとうございました。
〈〉